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寄稿:沓名 貴彦さん(山梨県立博物館 学芸員) ※所属・部署は取材当時のものです
人間に対するシックハウス症候群の問題が提起されて久しいが、新設博物館の空気環境が文化財に及ぼす影響については、より古くから問題視されていた。特に、打ち立てコンクリートから発生するアンモニアの問題は、1960年代から当時の東京国立文化財研究所(現独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所)において調査されてきた。それを踏まえて博物館建設では、「コンクリート打設後から文化財の公開までの期間は、二夏の経過又はこれに相当する環境の実現が望ましい。」という文化庁の指針が出されている。さらに近年、同研究所から文化財を保存するための各汚染物質の濃度基準として、アルカリ性物質、酸性物質、アルデヒド類に対し基準値、推奨濃度やレベル評価が示されている。
確かに「枯らし」は、有害ガスを出し尽くすためにも非常に有効な手段である。しかし、建物竣工後、速やかに開館する博物館が多く、充分な枯らし期間を取ることのできる館は、少ないのが現状であろう。
それならば、他の手段で空気環境の悪化を防ぐことはできないのであろうか。
考えられることとして、建物に用いられている様々な建材自体を見直していくことがある。実際、シックハウス症候群が問題化することで、建築基準法の改正が行われ、ホルムアルデヒドとクロルピリホスの使用に規制が出された。その結果、各メーカーはこの法改正に従った建材の開発、製品化を行っている。
では、その建材で文化財に対しても安全な博物館が、建設可能なのであろうか。
私が山梨県立博物館の建設で得た経験では、この規制だけでは文化財にとって安全な環境を実現するのは、非常に難しいとしか言えないのである。というのも、建築基準法の規制対象は、ホルムアルデヒドとクロルピリホスのみであり、厚生労働省が指定した13物質については指針値が示されているのみで、規制にはなっていない。当然のことながら、文化財にとってはこの13物質や前述の3物質にとどまらず、全てのVOCを対象として考えなければならない。
そこで、山梨県立博物館の建設では、建材の選別のためMSDS*等を用いて精査した。しかし、各建材のMSDS等を詳細に見ても、含まれる材料やその割合といったデータが、細かく示されていることは非常に少ない。つまり、建材に含まれる材料を製品名称や特徴、その他開示データから類推する以外に、対策はあまり無い。中でも塗料や接着剤は、合成樹脂が材料の中心であり、溶剤や副生成物等に注意する必要がある。
現在では、水性やエマルション型といった環境低負荷型の塗料や接着剤も多く製品化され、以前に比べ環境に優しいものが増えてきている。だが一方では、使用不可と分かっていても使用せざるを得ない材料も一部存在している。例を挙げれば、同用途の製品のほとんどに問題の材料が含まれるため、使用せざるを得ないケースである。合板やクロス等の接着剤で最も汎用的な酢酸ビニル系接着剤は、博物館では使用不可な建材の一つであるが、この建材には主成分のポリ酢酸ビニル中に、モノマー由来の酢酸が含まれていることが多く、この酢酸が揮発すれば、空気環境は確実に酸性となるため、用いることは極力避けねばならない。また、こうした材料を使用する場合には、換気による枯らしを充分行う以外に対策はあまり無い。
*MSDS=Material Safety Data Sheet(化学物質等安全データシート)
これまでの博物館の建設では、建材に使用されている材料の細かな管理まで充分行ってなかったため、竣工後に環境悪化の問題が発生し、枯らしやケミカルフィルタの使用といった環境改善の様々な対策を行ってきた。しかし、山梨県立博物館の建設では、文化財にとって安全な建材を適切に使用することで、問題の程度をあらかじめ低く抑えることが出来たのではないかと、私は考えている。
最後に、人間と違って文化財はモノを言うことが出来ない。そのため、文化財の変化(劣化)に気づいた時点ではもう遅いのである。だからこそ、博物館建設に携わる人間は、空気環境が文化財に及ぼす影響の重大性を改めて認識し、建設以前から博物館内の空気環境を見据えた設計や工法、建材の研究開発により一層力を注ぐ必要があるのではないか。
Photo by (株)ミヤガワ
(2007年)
山梨県立博物館
所在地:梨県笛吹市御坂町成田1501-1
TEL:055-261-2631 (代表)
開館時間:9:30~17:00
入館料:常設展示観覧料 一般500円、高校・大学生210円、小・中学生100円
団体割引料金、免除対象者、企画展の観覧料はウェブサイトでご確認ください。
休館日:曜日および「国民の祝日」の翌日。但し月曜が祝日の場合は開館し、翌火曜は休館となります。12月29 日~1 月1日。
URL:http://www.museum.pref.yamanashi.jp