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近現代美術にいける保存と修復

森美術館

寄稿:相澤 邦彦さん(森美術館 管理運営部 コンサベーター) ※所属・部署は取材当時のものです

 19世紀印象派周辺から現代にいたるまでの近現代美術の作品は、古文化財や古美術に比べ、制作より時を経ていない新しいものといえる。しかし、これは新しいために劣化や損傷が起こらず、保存修復処置が不要ということでは決してない。古文化財同様、保管環境、展示環境の影響による劣化や損傷が起こりうる。さらに、近現代美術の特徴であるその表現方法(技法/素材)の多様性、新素材の利用が劣化や損傷を引き起こすことも少なくない。
 
 また近代以降、美術作品は制作者の表現手段そのものとなり、より多くの機会で、広く鑑賞されることが求められるようになった。保存修復処置に際しては、この点も十分配慮する必要がある。
 
 以下に、近現代美術作品への保存修復処置の一例として、森美術館における取り組みの一部を紹介する。
 
 
池田学「方舟」における処置例
 
 池田学「方舟」(2005年、森アートコレクション)は、日本画用パネルに張られたやや厚手の洋紙にカラーペンで描かれた作品で、パネル側面上の作品本紙も視認できる形状にて額装されていた。対象は主に極細ペンで緻密に描写されており、使用されている色数は少ない。
 調査の結果、日本画用パネルの素材が作品本紙に対して影響を及ぼすことが予想され、近い将来に本紙表面にもシミや変色、絵具(インク)の補色が起こる可能性が高いことがわかった。調査時においてはパネルの影響による変化は見られなかったものの、万が一シミや変色が作品表面の着彩部分に発生してしまった場合、使用されているインクの堅牢性が極めて低いため、インクを傷めることなく処置することはほぼ不可能となることか予想された。
 
 そこで、作品本体の劣化を未然に防ぐために、本紙をパネルから取り外し、より安定した素材によるパネルに張り替えることとした。ただしこのとき、処置によって作品の画面の大きさや厚みが変わってしまうことのないよう、新しいパネルと既存のパネルのサイズを同一とすることにも留意した。また既存の額縁の構造、素材も作品保存に適した状態ではなかったため、デザインや形状等を作者に確認しつつ、新規に制作し再額装した。再額装に際し、画面保護のアクリル板を低反射アクリルに交換したことで、描写の細部をより鮮明に視認することが可能となった。池田学「方船」(2005)

処置前

①処置前

額装解除

②額装解除

パネルへの張りこみ

③パネルへの張りこみ
 

パネル張りこみ作業完了

④パネル張りこみ作業完了
 

額装完了

⑤額装完了
 
 
ル・コルビュジエ「4つの作品」における処置例
 
 近現代美術作品における経年劣化や外的損傷を抑制するためには、古文化財同様、温湿度管理、IPMの実践、薫蒸処置、薫蒸処置、VOCはじめ有害ガスの抑制、地震対策、展示に際しての適切な照度設定及び有害光線の排除等、多角的に保存処置を行うことが必要となる。また組成や構造が複雑で、接合部分の強度の低い立体作品については、輸送方法や梱包方法、展示方法、展示作業時や開梱包時の扱い方や持ち方にも十分な注意が必要となる。
 
 ル・コルビュジエ「4つの作品」(1930~1959年、森アートコレクション)は、鉄板にエナメルにて着彩、焼付け加工された4点の作品を1つの金属製の額縁に収めた作品である。本作品は絵画作品であるものの、そのほとんどが金属で制作されていることから重量があるため、取り扱いや展示方法には注意を要する。またあくまで「4つの作品」は呼称であり、4点には個別の題名があるが、これら1つの額縁に収めたのはコルビュジエ自身の意図によるものである。
 
 
ル・コルビュジエ「4つの作品」(1930-1959)
 

処置前

処置前
 

処置後

処置後
 

処置後

処置後

 収蔵時の状態は、表面及び裏面におびただしい汚損、シミ、塵埃が付着、堆積しており、それらが著しく作品鑑賞の妨げとなっていた。白や黒を背景に、赤や青、緑、黄色といった彩度の高い色彩を平面的に配置し色調の対比を強調する手法は、コルビュジエの絵画作品におけるひとつの特徴であるうえ、本作品においてはその技法上特に発色が強く、光沢のある仕上がりであったはずが、画面全体を覆う汚れのためにその特性が幾分損なわれていた。
 この汚損は精製水にて除去が可能だったため、精製水と綿棒、または筆を用いて可能な限り除去或いは軽減した。汚損の質から、本作品はおそらく制作後長期間において、外気に触れやすい環境、または調理や喫煙の影響を受けやすい環境下にて保管あるいは展示されていたことが考えられる。なお現在、将来的な汚損付着の予防や、輸送、開梱包及び展示作業時における取り扱いが容易になると同時に、既存の額縁に収められたまま額装が可能となるような、低反射アクリル付の額縁を作成中である。
 

除去前と除去後の比較

汚損除去前(下部)→ 除去後(上部)
 

処置部分の拡大

処置部分拡大
 
 
近現代美術のための保存修復処置
 
 近現代美術作品は、技法上、素材上の理由において劣化や損傷が起こりやすいという側面かあるのは確かであるものの、そのこと自体は問題ではなく、特徴と捉えるべきだろう。より自由に表現するために様々な技法や素材が使用されるのであれば、その制限は表現活動の妨げとなりうるため、予め劣化や損傷が起こりにくい方法で制作することは不可能と思われる。または作品として優れていること、重要な作品であることと、損傷劣化が起こりにくいことは、基本的に無関係といえるだろう。このことから、個々の作品における技法や素材は「表現」の一部として基本的に尊重した上で、できる限りの処置をその都度検討することが望ましいと考える。
 
 何より近現代美術が「鑑賞」を前提とした制作者の表現行為そのものであるならば、保存修復処置に際しては、展示時におけるその作品の「見え方」に十分配慮し、個々の処置が鑑賞の妨げとならないよう留意することが極めて重要と考える。ある意味において、近現代美術のための保存修復処置とは、「鑑賞」のための保存修復処置ともいえるだろう。 

相澤さん

相澤さん

(2007年)

森美術館
所在地:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53F
TEL:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
開館時間:月・水~日曜日10:00~22:00 火曜日10:00~17:00
入館料:展示会ごとに異なります(ウェブサイトをご確認ください。)
休館日:なし
URL:http://www.mori.art.museum/jp/index.html