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話し手:秋田 昌紀さん (堺市 文化観光局 観光部 観光企画課 主査)、川嶋 博之さん(株式会社トータルメディア開発研究所 チームリーダー)、辻 瑠美さん(堺市立歴史文化にぎわいプラザ 運営グループ) ※所属・役職は取材当時のものです。
―平成27年(2015年)3月にオープンとの事ですが、オープンに至るまでの経緯をお聞かせください。
堺市は仁徳天皇陵古墳を始めとする古墳や由緒ある神社仏閣、歴史あるまちなみが多く点在します。これまではそれぞれが独立していて、堺市の見どころを総括的に広く発信する様な施設がありませんでした。
そこで、堺市に来たらまず立ち寄れるような基点となる施設を整備しようというのが発端でした。
そして堺市の生んだ偉人であり、一般に広く知られている千家茶道の始祖・千利休と歌人・与謝野晶子をテーマとした文化施設と、市内の歴史文化を紹介する観光案内施設、そこに飲食店や観光バスも停められる駐車場を整備して、地域経済の活性化とまちの賑わいの創出を図る目的でオープンしました。
中へ入ると堺の歴史文化を紹介するとともに市内の観光情報を提供する“観光案内展示室”がある
―「与謝野晶子記念館」と「千利休茶の湯館」はどの様にして作られたのでしょうか。
「与謝野晶子記念館」は、堺市駅前にあった「与謝野晶子文芸館」と「堺市博物館」の学芸員が合同で取り組みました。晶子の愛用品などの関連資料の展示のほかに、旅好きで日本全国の殆どの県を訪れた晶子夫妻のエピソードやゆかりの場所について、タッチパネル形式で分かりやすく展示しています。
また、晶子が堺に生きていたという証を表現する工夫として、晶子が生まれた明治11年から東京へ移る22歳まで住んでいた「駿河屋」(和菓子商)という生家の一部を再現し、晶子の少女時代の雰囲気を体験することができる空間となっています 。
地図をタッチすると晶子ゆかりの地についての説明が表示される
生家の駿河屋は2階が西洋づくりで大きな時計のある和洋折衷の建物であった
「千利休茶の湯館」については、1615年の大坂夏の陣や第二次世界大戦の空襲により利休の時代の物やゆかりの地がほぼ焼失しており、展示できる現物が少ないという問題がありました。
利休の茶の湯の世界をどの様に表現していくか試行錯誤した結果、利休の壮年期の茶室(床部分)と、わび茶を完成させた晩年の茶室(床部分)を比較できる展示を軸にする事になりました。
また、堺市出身の片岡愛之助さんに千利休の声を演じて頂き、利休が自身の生涯や取り巻く人々について紹介するコーナーやシアターを設け、時代背景や茶の湯の世界の流れが分かるようになっています。最初は展示できるような現物が少ないという事が問題でしたが、逆に茶の湯の知識がない方にも分かりやすい展示になったと思います。
本格的な茶室(西江軒、風露軒、得知軒、無一庵)
―茶の湯を体験できる施設もあるのですね。
はい。表千家・裏千家・武者小路千家の方々に協力を頂いています。
三千家家元命名の茶室が並ぶのは全国でもここだけで、三千家の先生の指導のもと、本格的な茶室でお茶を点てる体験や、三千家のお点前によりイス席で抹茶とお菓子を味わっていただく事ができます。
この茶の湯体験を目的としたお客様も多く、お茶を召し上がりつつ、利休をしのんで頂く時間を楽しんでいただけているのではないかと思います。
本格的な茶室でのお点前体験
―これらの施設の他にも楽しめるイベントを多く開催されていますね。
堺のまちづくりや、市内外に堺やさかい利晶の杜について情報発信をしたいという意欲の高いボランティアを公募で集めた“堺まち物語協議会”という市民グループがあります。現在10名で月に1回集まり、イベント計画や施設発展のための話し合いを行っています。
この夏は納涼茶会とスイーツ巡りスタンプラリーを開催しました。スタンプラリーは堺市内の和洋菓子店と提携し、参加者にチケットを購入して頂いて、そのチケットでまち歩きをしながらスイーツを楽しんで頂くというものです。近隣の方を始め、多くの方が参加くださいました。
この“堺まち物語協議会”の活動は、市民の皆さんの自発的行動を可能な限り尊重しています。この様な市民活動が受け入れられる場や体制を整え、イベントに限らず多くの方が気軽に参加しやすいワークショップを行ったりして、盛り上がりが市民の間にも広がっていく事を期待しています。
たとえ協議会のメンバーでなくても、イベントやワークショップに参加して頂き、堺のまちの魅力に気づいて頂く機会になれば、と思います。
夏に行われた納涼茶会の様子
―今後の展望についてお聞かせください。
堺市内には、千利休や与謝野晶子に関連する名所やゆかりの場所があります。展示を見ただけで終わるのではなく、その後に徒歩や自転車、観光周遊バス等でまち巡りをして頂けるようなしかけやプログラムづくりをしていきたいと思います。また、このさかい利晶の杜は博物館的要素・体験施設的要素・観光施設的要素が一つにまとまっている文化観光施設です。そして、生きた時代が異なる千利休と与謝野晶子をテーマとしています。この一見、違うものに見える複合的な要素が集まっている事に意味があるのではないかと思います。
この施設を訪れた市内外の方々が、観覧や体験を通して利休・晶子に見られるモノづくりのDNAや古いものを大切にしつつ常に新しいものを取り入れていく堺人の気質に触れ、この気質が現代まで脈々と続いている事にも気付いてもらえる様な、特色のある堺の歴史と文化の魅力を体験できるまちづくりの拠点・発信地となる事を目標としています。
オープンして半年。来館者数は26万人を突破しました。当初の予想の年間20万人をはるかに超える勢いです。この勢いが一過性のものではなく継続できる様、まずは全国の方にさかい利晶の杜を知って頂きたいと思います。
お茶や和歌は海外の方も興味のある分野だと思いますので、将来的にはサカイからセカイへ日本の文化を発信していけるといいですね。
―本日はありがとうございました。
(取材日:2015年9月8日)
取材・執筆:永沼 麻子 金剛株式会社 社長室
※取材当時
PHOTO GALLERY
豊臣秀吉とつながりの深かった千利休が、その秀吉により命が絶たれる経緯などを語る
路を挟んだ向かい側には利休が愛用したという椿井が残る
千利休屋敷跡がある
施設内には利休や晶子に関する書物を閲覧できる図書情報コーナーがある
立礼茶席(南海庵)ではイス席で抹茶とお菓子を楽しむ事ができる
川嶋氏、辻氏、秋田氏
千 利休(せんのりきゅう)
1522-1591
戦国時代から安土桃山時代にかけての商人・茶人。
堺の商家の生まれ。家業は納屋(倉庫業)でした。
わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられます。豊臣秀吉の側近という一面もあり、秀吉が旧主・織田信長から継承した茶の湯を政治的に利用した政策の中で、多くの大名にも影響力をもちました。
与謝野 晶子(よさのあきこ)
1878-1942
歌人で古典研究、評論、教育の分野でも活躍。
現在の堺市堺区甲斐町にあった、和菓子商「駿河屋」の三女として生まれました。代表作に歌集「みだれ髪」や詩「君死にたまふことなかれ」があります。
23歳で夫・与謝野寛(鉄幹)と結婚後、12人の子どもの母となり、子育てをしながら作品を発表し続けました。
さかい利晶の杜 ~堺市立歴史文化にぎわいプラザ~
所在地:大阪府堺市堺区宿院町西2丁1-1
T E L :072-260-4386
FAX:072-260-4725
U R L:http://www.sakai-rishonomori.com
休館日:■千利休茶の湯館、与謝野晶子記念館、茶の湯体験施設
第3火曜日(祝日の場合は翌日)及び年末年始
■観光案内展示室 年末年始
■駐車場 年中無休
開館時間:■千利休茶の湯館、与謝野晶子記念館、観光案内展示室
午前9時~午後6時(最終入館 午後5時30分)
■茶の湯体験施設
午前10時~午後5時(最終入席 午後4時45分
■駐車場
24時間