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東日本大震災で被災した民族資料の保存修復の取り組み

国立民族学博物館

写真1/救出活動の様子

写真1/救出活動の様子

話し手:日髙 真吾さん(文化資源研究センター 准教授)国立民族学博物館 ※所属・役職は取材当時のものです。 

はじめに

 2011年3月11日14:46分に発生した東北地方太平洋沖地震は、未曾有の被害をもたらした東日本大震災となった。そして、この大震災では、有形文化財のひとつである民俗資料も多数被災した。ここでいう民俗資料とは、地域の文化のなかで育まれ、使用された生活用具や生業用具、祭祀用具といった資料群である。

 これらの有形の文化財の保護のため、文化庁の呼びかけで、全国規模の支援体制として「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会」が結成された。実際の活動は、津波災害で被災した文化財の救出、一時保管、応急処置である。

 ここでは、私が実際におこなった民俗資料の救援活動とその後におこなった保存修復について報告する。

有形文化財のレスキュー体制

 東日本大震災で被災した有形の文化財のレスキューは、その被害の大きさから、全国規模で展開する必要があり、その体制の整備を文化財に関わる国立の研究機関を中心に文化庁が呼びかけた。この呼びかけに対し、3月30日付けで「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会」(以下、救援委員会とする)が立ち上げられ、東京文化財研究所を本部とする体制が整備された(図1)。救援委員会に参加した機関を下記に示す。

有形文化財のレスキュー体制

図1(クリックして拡大)

救援委員会の活動およびその対象は、設置要綱に定められており、それを要約すると、救援委員会の活動は、救出、一時保管、応急処置の3つの活動を支援するものである。そして、その対象は国・地方の指定等の有無にかかわらず、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書、考古資料、歴史資料、有形民俗文化財等の動産文化財及び美術品であると示されている。ここでの国・地方の指定された文化財とは、日本国の文化財保護法や国内の市町村の文化財保護条例の規定のなかで、特に重要で保存の必要性があるものして指定されている文化財のことを指している。実は、ここで対象とされた文化財の設定には大きな意味がある。通常、文化庁や自治体の教育委員会で保護の対象とされる文化財は、指定品に限られている。一方、救援委員会の対象文化財には、指定の有無を問われていない。つまり、文化庁も自治体の教育委員会も東日本大震災という大惨事に対して、通常の業務範囲を大きく拡大しているのである。なお、このような決断で組まれた体制は、1995年の阪神・淡路大震災以来である ※1)。

有形文化財の救援活動

 救援委員会における被災文化財の救援活動は、救出、一時保管、応急処置の3つの活動を支援するものであることは前述したとおりである。このなかで、救出、一時保管の活動は被災現場のなかで実施するものであるため、かなり劣悪な環境下での作業となる。

 救出活動では、周囲のがれきの撤去作業で巻き起こっている粉塵への対処、ヘドロなどの匂いや暑さと戦いながらの作業となる(写真1※ページ冒頭)。また、災害発生から日数がたち、さまざまなものの腐敗が始まると、破傷風の心配がでてきた。さらに電気も通っていない被災した博物館施設での活動は、真っ暗な場所での作業となり、床にがれきが散乱しているような不安定な足元と天井からの落下物に注意しなければならない。そのため、マスクはもちろん、ヘルメットや長そで・長ズボンの作業服、分厚い作業手袋や安全靴、ヘッドライトなどを装備する必要がある。このような環境のなか、床面に散らばっているガラスの破片や津波が運んできたヘドロを取り除きながら、埋もれている文化財を探していく。装着しているゴーグルはすぐに汗で曇り、全身汗まみれとなりながらの作業は、体力を著しく消耗した。

 一時保管の作業では、被災した博物館の担当者が立ち会える時間が限られたなかで、文化財を一気に保管場所へ移送することが求められた。というのも、被災地では文化財の救出活動の前に、生活全般の復旧・復興活動が求められるため、博物館担当者といえども、博物館のことだけに従事することは許されない状況だからである。可能な限りトラックの荷台に積載して移送するため、脆弱なものは別として、ある程度、強度のあるものは、美術梱包をする暇はなかった。したがって、荷台には強度の強いものを下に、軽いものを上に積み込んでいくこととした。

 応急処置の作業は、救出、一時保管の作業と比べると、やや落ち着いた環境での作業となる。今回の震災で被災した民俗資料の汚損原因は、主に津波によって運ばれた砂の付着であった。また、もう一つの劣化要因として津波に含まれていた塩分についても考慮する必要があった。そこで、応急処置では、表面に付着した砂と塩分の除去について検討した。

 表面に付着した砂は、清浄環境にある一時保管場所を汚損する要因でもあり、必須の作業となる。また、この表面の砂は塩分も含んでいるので、湿気を呼び込み、カビの発生を促進させる。さらには、一時保管場所で進められる資料整理等の活動では、取り扱いを困難にし、整理作業そのものを著しく阻害する要因となるため、早急に除去する必要がある。

 もうひとつの大きな劣化要因である塩分に対しては、今回の震災で被災した文化財の塩分の除去を目的した脱塩処理の実施が考えられた。しかし、水槽や排水施設の整備が必要なことから、2011年度での実施は難しい環境にあると判断した。

 以上のことから、応急処置をおこなう現場で脱塩処理を実施することは難しいと判断し、2段階方式による応急処置法を採用することとした。

 第1段階は、資料の表面を汚損し、取り扱いそのものを困難にしている砂およびヘドロを除去することである。この除去法については、当初は、筆者がこれまで経験してきた河川の水害による被災民俗資料の洗浄と同様、一度、水に浸漬して、表面の砂やヘドロをふやかし、柔らかい刷毛やブラシを用いて除去することを想定しており、そのための条件は水が使えることであると考えていた。この方法は、隣接していた製紙工場の原料が大量に流れ込んだ博物館の民俗資料について大きな成果を上げることができた。しかし、他の現場の民俗資料の応急処置を進めていくなかで、少し状況が違うということに気づいた。それは、民俗資料の表面を汚損しているものが海砂であり、乾燥している場合は、無理に水を使わなくても、刷毛などによる払い落としの作業で十分に除去できるということである。また、応急処置を進めていた時期が梅雨を迎えつつあり、水を使った洗浄は、乾燥過程でカビが発生することが懸念された。そこで、多くの民俗資料については、水は極力用いず、柔らかい刷毛やブラシで構成する洗浄キット(写真2)を用いて作業をおこなうこととした。もちろん、水洗作業をおこなう必要があると判断したものは、洗浄後の乾燥に十分に配慮しながら作業をおこなった。以上の作業では、洗浄キットで落とせるだけの砂を除去するという極めて明快な判断基準を作ることができたことから、約4000点にも及ぶ大量の民俗資料の一次洗浄を達成できた。

洗浄キット

写真2/洗浄キット

 次に第2段階での作業は、塩分の除去を見据えた活動であり、2012年度以降の課題として、現在実施している。具体的には、救出した民俗資料の状態調査の実施からはじめ、津波に含まれた塩分が材質に及ぼす影響の検証をおこない、脱塩処理の実施を検討するというものである(写真3)。その結果、特に木部を主要構成素材とする資料は、塩分劣化を防ぐための脱塩処理が必要との結果が得られた。また、塩分を含んだ民俗資料は、塩分が湿気を呼び込み、カビを発生させ、一時保管場所全体の環境を汚損することも懸念されることから、なるべく早い時期に脱塩処理をおこなうことが望ましいと結論づけた。現在、被災地の博物館や大学機関と連携して、本格的な脱塩処理の実施に向けた体制作りをおこなうとともに、大量の民俗資料に対応するため、本格的な保存修復としての脱塩処理を実施するための予算申請を検討している。

処理作業の様子

写真3/脱塩処理作業

被災した有形文化財が復興するまでの活動

 以上、被災した民俗資料の救援活動について、救出・一時保管・応急処置を紹介した。また、応急処置としての第2段階目の作業としての脱塩処理について紹介した。しかし、これらの活動は、地域文化財としての民俗資料としての価値を取り戻すものではない。そのような価値を取り戻すための活動として、私は次の8つの活動があると考えている ※2,※3)。

被  災災害が発生して被害を受けた状況で、何も対処されていない状態。
救出・一時保管文化財を被災現場から移送し、安全な場所で一時的に保管する活動。応急処置:ほこりや泥で汚れたり、壊れてしまった文化財がさらに悪い状態にならないための応急的に処置を施す作業
応急処置ほこりや泥で汚れたり、壊れてしまった文化財がさらに悪い状態にならないための応急的に処置を施す作業。
整理・記録救出した文化財の点数を確認するとともにリストを作成し、その全体像を把握する作業。
保存修復本格的な修復が必要と判断された被災文化財に対して保存修復の専門家がおこなう作業。
恒久保管復旧した所有者の保管場所に返却、もしくは、博物館などに預けて安全に保管するための活動。
研究・活用これまでの過程でおこなわれてきた専門的な研究活動を取りまとめるとともに、被災文化財が本来持っていた情報を付与する活動。また、これまでの成果を社会に公開する活動。
防  災支援活動全体を通して得られた教訓を生かし、次の災害に備えるための活動。

 このような8つの活動のうち、救援委員会としておこなった活動は、「救出・一時保管」、「応急処置」である。そして、現在、被災地と連携しながら、救出した文化財のリスト作成のための「整理・記録」、「保存修復」の一部の作業をおこなっている。今後は、文化財として本来の価値付けがおこなえる資料情報を付与するための「研究・活用」の活動を視野に入れなければならない。また被災地では、救出した文化財をあるべき場所に戻すための「恒久保管」に向けた活動も展開していかなければならない。

今後の活動について

 現在、被災地の復興は確実には進んでいるものの、なかなか元の社会生活には戻っておらず、博物館施設の復興計画もままならない状況である。したがって、暫定的な収蔵庫としている一時保管場所の使用は長期化している。そこで、国立民族学博物館が所属する人間文化研究機構も、被災地支援となる研究活動を展開できる研究枠を設け、筆者自身は、「文化財の復興に向けたミュージアムの活用のための基礎的研究−大学共同利用機関の視点から」の研究代表者として活動をおこなっている。今後は本研究会を中心に、①一時保管場所における民俗資料の保管体制の構築、②災害時におけるミュージアムの連携体制の構築について取り組んでいく所存である。

参考文献

1)阪神・淡路大震災被災文化財等救援委員会事務局『阪神・淡路大震災被災文化財等救援委員会活動記録』1999年

2)日髙 真吾(石井里佳、川本耕三、他3名)「民俗資料の劣化とその対処法に関する研究(1)—木部への塩分浸透実験と金属防錆処理法の検証実験—」『日本文化財科学会第27回大会』P310-311 2010年

3)日髙 真吾「東日本大震災における被災文化財の救援の現場から—有形民俗文化財の支援を中心に」『民博通信』135 P2-7  2011

国立民族学博物館
所在地:大阪府吹田市千里万博公園10-1
開館時間:10:00〜17:00
休館日:毎週水曜日(水曜日が祝日の場合は翌日が休館日)、年始年末(12月28日〜1月4日)
URL:http://www.minpaku.ac.jp/