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正倉院の開封作業ー西宝庫における正倉院宝物の点検ー

宮内庁正倉院事務所

寄稿:成瀬 正和さん(宮内庁正倉院事務所保存課 課長)※所属・役職は取材当時のものです。
 
 
 テレビのニュースで、10月の初め正倉院の宝庫にモーニングに身を固めた行列が静々と人ってゆくシーンを見かけたことはないだろうか。そう正倉院西宝庫の御開封の儀式の一コマである。正倉院ではこの日から約2か月の間、ふだんは閉ざされている西宝庫(1962年竣工)内で、平日に一日4時間、保存課職員計14名が一丸となって宝物に関する様々な作業を進める。もっとも重要な作業は宝物の点検であり、前年に宝庫が閉まってから約10ケ月の間に、何か宝物に異状が生じていないかどうか、西宝庫にある全ての宝物について確かめるのだ。
 
 1班は通常3~4人構成であるが、特別大きな宝物に対しては6人ほどによる構成となる。宝物によっては一人で扱うことが可能なものも少なくないが、複数で行うのは、異状の発見および宝物の取り扱いに万全を期すためである。 
 
 宝物のほとんどは容器に入っているが、扱いに問題のない宝物については取り出して、また染織品など脆弱な宝物は蓋をはずした状態で、それぞれ点検を行う。まず宝物をざっと見渡し、次には懐中電灯で照らしながら細部を丹念に見る。点検のポイントは新たな虫害や徹害あるいは物理的損傷の有無や経年劣化の進行状況の把握などである。正倉院宝庫の空調運転時間は通常期が1日3時間。暑い季節や開封期間などはこれを延長するが、それでもせいぜい6時間運転である。土日や休日には空調運転はしない。庫内は、湿度については設定値が60%であるが、温度は外気の推移に沿わせているため、一年を通すと3℃~30℃の範囲で変化する。このため残念ながら庫内の温湿度環境は酷暑期には乾性徽の発生領域に入る。したがって徽が万が一認められた場合には、エチルアルコールによる払拭等の処置を施すことになる。また防虫のための忌避剤は樟脳を用いており、昇華して無くなったものについては、新しいものを補充する。宝物の傍には点検カードが置かれ、点検終了後は、その所見を記入し、次年にその宝物を点検するであろう誰かに情報を伝える。
 
 宝物の点検は1点につき5分~20分程度であり、ものによって所要時間の差はある。点検の場は、実は教育の場でもある。ふだんの上下関係や所属部署に関係なく、ベテランの職員が、経験の浅い若手職員に、個々の宝物についての扱い方を具体的に教える。丈夫そうな宝物でも1250年の経年により、どこかが弱っていることが多い。また蓋ものなどでは、蓋を開けるのに相当なコツを要するものもある。
 
 点検している宝物がどのような来歴を持ち、どのような材料・技法を用い製作されているのか、あるいは銘文の有るものについては、何が書かれているのかなど、文化財としての宝物が内包する様々な情報に関して、わずかな時間ではあるか、そこで会話が交わされる。文化財を守る上で最も大事なことは、対象となる文化財に愛着を持つことであろう。そのような意味でも、正倉院ではこのわずかな時間の積み重ねをとても大切にしている。
 
 11月の末に、西宝庫では御閉封の儀が執り行われ、宝庫は再び閉ざされる。それまでに西宝庫にあるすべての宝物の点検を終了し、また前日には、保存課職員総出で、庫内の環境を可能な限り清浄に保つため、清掃を行う。普段は家で掃除をしないような職員も、この日は率先して掃除用具を手に取り、作業に勤しむのである。 
 
 なお西宝庫の秋の開封期間中、このような宝物の点検は全体の作業量の約半分程度である。他の時間は、奈良国立博物館に出陳される宝物の引き渡しと引き取りのための点検や、外部の調査員を交えての宝物特別調査あるいは模造品作製事前調査、宝物の写真撮影、外部依頼による調査や写真撮影の対応などに当てている。
 
 1959年までは、この点検作業は実際に宝物が置かれていた正倉院正倉で行なっていた。宝物は風通しされ、また時として太陽光が庫内に差し込むこともあり、「曝涼」と呼ぶにふさわしい状況であった。現在は、人海戦術を基本とする「曝涼」時代の長所は引き継ぎつつ、空気調和設備・空気浄化設備を有する宝庫で、以上述べたような点検を行なっている。
 
 正倉院の保存課職員は、染織・工芸・文書・保存科学・修補・写真など各自専門を有するが、全員もっとも大切な仕事は宝物の保存に関することと心得ている。正倉院にはじめて保存科学の専門職員が配属されたのは1973年のことであるが、このような点検システムはそれ以前から作り上げられていた。現在でこそ正倉院の保存科学は3名となり、空気汚染、虫害、徽害などに関して様々な積極的対策を講じることが可能になりつつあるが、宝物保存の現場での担い手はいぜん保存課職員全員であることに変わりはなく、このシステムが維持できる限り、宝物は安全に次代に引き渡すことが可能なのである。
 
 筆者は、気が付けば30年近く正倉院宝物の保存にかかわる仕事をしてきた。立派な設備や充分な予算があれば、それに越したことはないが、最後はやはり「人が守る文化財」、というのが実感である。
 
 

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