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地域と市民をつなぐ「接点」~シビックプライドを育む文化施設~

学識者インタビュー

話し手の写真

話し手:伊藤 香織 さん 東京理科大学 理工学部 建築学科 教授  ※所属・役職は取材当時のものです。
写真/鈴木 陽介
 
 
 近年、図書館や博物館、公文書館などの文化施設がまちづくりの拠点として期待される役割が大きくなる中、多くの自治体やまちづくりの現場で「シビックプライド」という言葉に注目が集まっています。
 「都市に対する市民の誇り」を意味するシビックプライド(civic pride)は、いわゆる郷土愛やお国自慢のような地域に対する愛着にとどまらず「当事者意識にもとづく自負心」であると、シビックプライドを研究されている東京理科大学の伊藤香織教授は語ります。
 そして伊藤教授によると、本誌で取り上げているような文化施設は、地域と市民をつなぐ「接点」としてシビックプライドを醸成するための大きな可能性を秘めているのだそうです。
 
 
ーはじめに、シビックプライドの歴史について教えてください。
 
  「シビックプライド」という考え方が広く認識され始めるようになったのは19世紀のイギリスです。当時のイギリスは、商工業が発達して近代都市が誕生し、地域の主役が王侯貴族や教会から産業の発展によって富を得た「市民」へと移り変わっていく時代でした。 市民たちは進歩的な考え方を背景に、新しい都市づくりを支えていくこととなります。それが自分たちのミッションであり美徳だと考えていたのです。具体的には、役所、図書館、音楽ホール、公園、広場といった公共施設から鉄道や下水道といったインフラ設備に至るまで「市民のための施設」が市民の働きかけや寄付で建造されるようになります。こうして、自分たちが文化を勝ち取り、誇りをもってまちを作りあげている自負心が育っていったのです。 その中でも特に、公共建築物はシビックプライドを具現化したものと考えられていました。多くの人の目に触れる建築物は「誇れるもの」として共有しやすかったためです。現在でも、イギリスの各地で見事な装飾が施された公共建築物を目にすることができます。 当時のイギリスにおける「市民」というのは強い経済力をもつ中産階級のことで、現在私たちが一般的にイメージする「市民」に比べてかなり限定された人々を指します。彼らはお金を持っていることそのものではなく、それを文化に投資していることが誇りでした。それは文化を理解している誇り、自分たちが知性を持って生きていくのだという誇りだったのだと思います。ですから、そういう意味でシビックプライドと文化施設の関係は強かったと言えます。
 
 

タウンホール外観

「シビックプライドを象徴する」と形容されるリーズのタウンホールは、1858年に建設された

 

ー言葉通り「プライド」をかけた市民たちの行動がシビックプライドの源泉だったのですね。 近年、日本でも「シビックプライド」という言葉を目にする機会が多くなってきました。

  これはシビックプライドの概念が日本で急に立ち上がったということではなく、以前から地域への誇りを感じていたり、その気持ちを元にアクションを起こしていた方も沢山いたけれども、それを一言で表す言葉がなかったということだと思います。言語化されたことで「そう言い表せばよかったんだ」と思った方々が、シビックプライドという言葉を使われているのではないでしょうか。現在の日本における「シビックプライド」は、地域への誇りに加えて、愛着や郷土愛のような広い意味を包括しています。地方自治体が地域の活性化やシティプロモーションに取り組む際にもよく使われているようですね。

ー前述の通り、元々シビックプライドという考え方は地域に対する気持ちを行動に表す中で育まれてきました。ですが多くの方にとって、実際に行動を起こすことそのものの敷居が高いような気がします。 

 そうですね。例えば、まちづくり活動に熱心に取り組む方がいる一方で、地域のためにアクションを起こすことに対するハードルの高さを感じている方もいらっしゃるでしょう。またはそれ以前にほとんどの方が「自分も何かができる存在である」と思ってないのではないでしょうか。自分が行動を起こしても何も変わらないと思っている方や、そもそもそんなことは考えたこともないという方が大多数かもしれません。最初から「このまちを良くしたい!」などと大きな目標を掲げなくても良いので、まずは「自分の好きなことをやってみよう!」くらいの、いい意味でゆるい気持ちで始めてみてもいいと思います。 ただ多くの方は、好きなことをするというと、美味しいものを食べるとか綺麗な洋服を買うといったように、ただの「消費」になってしまうことが多いのです。ですが人間は、単に自分のためだけに消費する喜びよりも、誰かの役に立って感謝されたり、自分の起こしたアクションで何かが変わった実感を得た時の方が嬉しいと感じるのではないでしょうか?仕事や家族内での役割分担で例えると分かりやすいと思いますが、自分がいるからこのプロジェクトが成り立っている…みんなで家事を役割分担できているから毎日快適に過ごせている…そのような、コミュニティーのために自分の持つ力を発揮しているという自負心。言い換えれば、自分に対する存在価値や誇りを感じられれば人は生きていけますし、それが「生きがい」に繋がってくるのだと思います。 まちに対する誇りや自負心、愛着といったシビックプライドは一人一人の心の中にある気持ちですので、本人以外の誰かが形作ることはできません。しかし主観的な感情ではなく、シビックプライドを醸成する「接点」であれば作ることができます。例を挙げると、かつてのイギリスにおける壮麗な公共建築物をはじめ、伝統的なお祭りやまちを使ったイベント、まちのメッセージを伝えるシンボルマークなどです。特に、公共施設には人々が集まることが出来る空間があるので接点として機能しやすいといえます。
 

道路で大きな人形をたくさんの人が動かしている

ル・アーブルでのロワイヤル・ド・リュクスの公演 誰もが楽しめるパフォーミング・アーツは、まちの物語になる

ーそのようなハード面の特徴として、建築物という空間が挙げられるということですね。
 
 一方、公共施設のソフト面に目を向けると、大きく分けて「きっかけづくり」と「担い手づくり」を通して接点としての力を発揮できると考えています。
 大前提として、アーカイブ機能を持つ図書館や博物館、公文書館というのは「知」を蓄積している場所です。元来これらの文化施設は、知の提供を通じて多くの気づきやアイディアといった「きっかけ」を与えてくれる機能を有しています。
 最近では、ワークショップなどのイベントを開催する施設や、色々な都市で開催される芸術祭が増えてきました。このような活動に足を運び参加すれば、何らかの「きっかけ」を得られますし、運営ボランティアとしてより積極的に携わればイベント運営のノウハウに触れることもできます。ですから、このような体験できるイベントはシビックプライドを醸成するきっかけづくりの機会でもあり、同時に「担い手づくり」の場でもあると言えます。
 「担い手づくり」には、活動を中心になって牽引していけるような「コアになる方々の育成」と、その活動に参加して「活動を支える方々を増やす」の二種類があります。トップダウン的な進め方でなくステークホルダーみんなで活動を続けていくためには、サービスを提供する側・受ける側を越えたコミュニティーを持続しなければなりません。そのためには、この両方の担い手が不可欠です。
 シビックプライドを持つ「市民」は、その地域に住民票があって税金を納めている方や、そこで生まれ育った出身者だけに限定する必要はありません。観光客として何度もそのまちを訪れるような「ファン」など、様々な立場の方々がまちを取り巻いているはずです。このような方々も「市民」として、そして「担い手」としてその地域に対するシビックプライドを持てると思います。
 何か行動を起こすためには「自分でもできるんじゃないか?」と思えることがとても大事なことで、そう思えなければきっと何も始められません。文化施設は、空間、知識、体験を通して、シビックプライドを胸に秘めている市民の背中を押してくれる存在になり得るのではないでしょうか。
 
ー加えて、文化施設はコレクションしているモノとの出会いを提供する場所でもありますよね。
 
 技術が進歩して様々なものをバーチャルに見られるようになったとしても、本物に対峙した時の感動は絶対になくならないでしょう。ただ、お城のように風景の一部として多くの人に共有される建築物と異なり、館の中にあるモノは施設に足を運んだ方しか見られません。ですから、文化施設に足を運んでもらう工夫が必要ですよね。
 そのためには文化施設がふらっと気軽に立ち寄れる場所であることが重要です。確固たる目的がなくても、なんとなく立ち寄って館内で時間を過ごす中で、文化施設の持っているモノ、そしてそれを通して更なる何かに「出会える場所」であって欲しいと思います。例えば図書館によく見られる司書の方が工夫を凝らした特設コーナーなどは、そこを通る方々に本との「予期せぬ出会い」を提供しているとても良い例だと感じています。そのような思いもよらなかった偶然の出会いがあることが、文化施設に足を運ぶ醍醐味なのだと思います。
 

街中にある出張展示

ミラノのガレリア中心に展示された都市模型は、ミラノ都市センターの出張展示 

ーインターネットで検索すればあらゆることをすぐに調べられますし、家に居ながらにして買い物もできる時代になってきました。文化施設に限らず、実際に外出してどこかへ足を運ぶ機会自体が少なくなっている気がします。 

 確かに、知りたい対象や手に入れたい目的のものが明確に分かっていれば、家から出なくても済む時代になっていますが、だからこそ、たまたまその場所を訪れたから出会えた人や体験できた出来事、手に入った知識がとても貴重になってきています。 最近は、複合施設の中にある図書館や博物館、美術館が増えていますよね。図書館と美術館が一緒になっている施設もあります。そのように複合化する中で、文化施設は元々持っていた文化財のような「モノ」や、知識という「情報」を提供する場所に加えて、多様な人が交わり色々な「コト」が起こる場所になりつつあるのではないでしょうか。 そうした、モノ・情報・コトといった自分の予期しないものとの出会いは、まちと出会い、関係を持つためのはじめの一歩と言えます。まちには年齢、性別、国籍などが異なる様々な人が同時にいます。もしかすると、文句ばかり言う人や自分と気の合わない人もいるかもしれません。ですが、そのような人も含めて「まち」なのですよね。思いもよらない多様な出会いを楽しめることと、まちに関わることは似ているような気がするのです。 「まち」と「私」に関係ができれば、まちが他人事から自分事に変化していくはずです。そのような地域に対する当事者意識の芽生えが、地域への誇りや愛着に繋がっていくのだと思います。
 
 

都市模型を覗き込む人々
大きな都市模型と人々
併設されたカフェ

ハンブルクのハーフェンシティ・インフォセンターでは、都市模型にカフェが併設され、多くの市民が散歩がてら立ち寄る

>> 文化施設は地域と市民をつなぐ接点の一つであり、「思いがけない偶然の出会い」を創出する場としてシビックプライドの醸成に大きな意味を持っているのですね。 本日は貴重なお話をありがとうございました。


(取材日:2018年6月19日)
取材・執筆:宮脇 薫子 金剛株式会社 復興推進本部 戦略室
※取材当時 

伊藤 香織 さん
東京理科大学 理工学部
建築学科 教授
東京理科大学理工学部建築学科教授。シビックプライド研究会代表、東京ピクニッククラブ共同主宰。専門は都市空間のデザインと解析。主な著書に『シビックプライド2【国内編】:都市と市民の関わりをデザインする』(宣伝会議 2015)、『まち建築:まちを生かす36のモノづくりコトづくり』(彰国社 2014)、『シビックプライド:都市のコミュニケーションをデザインする』(宣伝会議 2008)など。