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話し手:各務 寛治 さん(右)多治見市モザイクタイルミュージアム 館長 一般財団法人たじみ・笠原タイル館 代表理事 株式会社ヤマセ 取締役会長、村山 閑 さん (左)多治見市モザイクタイルミュージアム 展示事業グループ ※所属・役職は取材当時のものです。
私たちの暮らしを彩るモザイクタイル。その最大の生産地である岐阜県多治見市笠原町に、タイルの魅力を発信するミュージアムがあります。構想期間は20年以上。地元タイル業界協力の元、平成28年にオープンしました。
開館をきっかけに、タイル、そしてタイル産業を再評価する動きが進む中、ミュージアムを地元の方々の「まちへの誇りを象徴する存在」にしたい―。そう語るのは、タイル原料メーカーを経営しながら開館に尽力した各務館長と学芸員の村山さん。お二人にミュージアムの運営に込める想いを伺いました。
4F 展示室の内部
ー多治見市笠原町はモザイクタイルの生産量・シェア共に日本一を誇るのですよね。
村山 モザイクタイルとは、一枚の表面積が50㎠以下の小型タイルを指します。笠原町は多治見市と合併する以前から、人口一万人ほどの小さな町ながら最盛期では100を超えるタイル工場が存在し、現在も原料メーカー・タイルメーカー・商社・施工業など様々な分業体制の中、まち全体でタイルを生産しています。
多治見市モザイクタイルミュージアムは、平成28年6月に旧笠原町役場の敷地跡に開館し、生産地であることを生かしてタイルの魅力を発信しています。運営する一般財団法人たじみ・笠原タイル館は、タイル業界の有志が立ち上げた財団法人です。
オープン以前は年間2万5千人の来館者を見込んでいましたが、その予想を大幅に超えて最初のひと月で1万人、開館2年目の現在は累計入館者が30万人を突破しています。これは、開館以前から藤森照信氏※1による設計が建築ファンの間で注目されたり、来館者が撮影したタイルの写真がSNSで拡散されて話題になったおかげだと考えています。
※1 日本の建築史家、建築家
自然素材や植物を取り入れた、従来の常識を超える ユニークな作品が世界的に評価されている
貼り板
モザイクタイルの出荷前の仕上げ加工である紙貼り作業は、今もこの貼り板を使う
4F展示室にある「作品」の一つ 床屋さんのカウンター
1Fショップで販売している詰め放題のアンティーク調タイル
様々なモザイクタイル画や絵タイルを貼り混ぜた画面構成 タイルならではの一体感
ー館内に並ぶ数々のタイルコレクションは、各務館長を中心とする地元タイル業界の有志が収集されたと伺っています。
各務 平成5年頃から数人の同業者に声をかけて、仕事が休みの日など時間を見つけては廃棄されそうなタイルを集めはじめました。20数年かけて集めた点数は大小合わせて約1万点にも上ります。まずは地元で収集活動を始め、声がかかれば全国各地へ足を運び、運搬費用を自己負担して持ち帰りました。例えば当館の3階に展示している東京大学の先端科学技術研究センター※2に使われていたタイルも解体現場で収集したものです。
※2 旧東京帝国大学航空研究所 2号館
ー集め始めたきっかけは何だったのですか?
各務 多治見市を含む東濃地域は陶器の名産地です。ですから、当時すでに周辺の市町村には陶芸家やアーティストの焼いた「作品」を飾る美術館がありました。しかし東濃地域の産業を支えたもの、つまり私たちの暮らしを支えたのは、各地域で生産されていた盃や茶わんのような「一般の食器」であり、笠原町にとっては「タイル」です。ですから「作品」でなくても、それらこそ評価されるべきではないか、と疑問を抱いていました。
タイルは建築に用いる建材です。建物を解体する際にはタイルごと産業廃棄物として捨てられてしまいます。そのような認識ですから、生産者も在庫が多く残ったときはタイルを処分しているような状況でした。
タイルの収集を決意した平成5年頃は、バブル崩壊の影響が徐々に出始め、タイルの生産量が年々落ちていっている頃でした。かつて笠原町のタイル産業は戦後の復興と相まって隆盛を極め、昭和30~40年後半にかけては、名古屋港の主要輸出品目として世界中に輸出されていきました。
タイルの収集を続ける我々に対して、地元の人々から「そんなもん集めてどうするの?」という意見があったのも事実です。彼らにとってタイルは掃いて捨てるほどあるような存在でした。身近であるがゆえにタイルに対する特別な感情がなかったのだと思います。ですが、自分のまちに対して、仕事に対して、誇りを持たないとダメだと思うのです。誇りがなくて、いい仕事ができますか?
このままタイル産業が衰退して、地元の歴史に「笠原町はかつてタイルを作っていました」と、たった一行が刻まれて終わるようなことは絶対に嫌でした。万が一、産業が消えたとしても実物が残っていれば、100年、150年先の人たちがタイルに価値を見出して、またここ笠原町でタイル産業が興るかもしれないとも考えました。だから、残さんといかん。今ならまだ遅くない。そのような危機感と決意が収集活動のきっかけだったと言えます。
タイル・カーテン
藤森照信氏のアイディアで作られたタイルの新しい見せ方 製作の一部には笠原町の住民や関係者も携わった
昭和30年頃のタイル見本台帳
同じ形でも並べ方や色の組み合わせ次第で多様な表現ができるのがモザイクタイルの魅力
ータイル産業を守るために実物をアーカイブしつつ、何よりも地元の方々にタイル産業への誇りを持ってほしいという館長の想いをひしひしと感じます。
村山 ミュージアムの2階は産業振興フロアとして、地元タイル業者の製品を来館者が実際に手に取ることができるつくりになっています。タイル業界のOBである「コンシェルジュ」やインテリアデザイナーの先生にタイル選びや施工に関する相談をしたり、直接商談してタイルを購入することもできます。
実はこのフロアの設置を熱望したのはタイル商社でした。自社のショールームを持たない小さな商社はハウスメーカーや工務店などに売り込む営業スタイルです。同じような色やデザインの「無難な」タイルばかりが採用される現状を前に、エンドユーザーにもっと多様な種類のタイルを直接届けたいと考えていたのです。今まで商社に売る立場だったメーカーもエンドユーザーに接する場ができましたので、試作品を置いて来館者にアンケートを取るなど、新しい試みが始まっています。このフロアが活性化することで、ミュージアムがタイル業界の販路の拡大や新商品の開発に貢献できれば嬉しいですね。
2F 産業振興フロア
実物のタイルが貼られたパネルやタイルメーカーのカタログを設置
ー常設展示とは別に、年3回の特別展に合わせたイベントも盛んにおこなわれていますね。
村山 周辺地域と連携しながら、ミュージアムの中にとどまらず、まちに飛び出すようなイベントを企画しています。例えば、タイルに興味を持ってもらう狙いで企画した、まちの中のタイルを探す「まち歩き」イベントは好評でしたので今後も行うつもりです。また、タイル製造にまつわる工場見学会も重視しています。分業体制でタイルを生産するこの地域では、各工場がそれぞれの複雑な工程を精密にこなすことで、質の高いタイルができあがります。よく「タイルって高いんでしょ?」という声を耳にしますが、工場を見学してタイル製造が生易しいものでないと分かると、値段が高い理由を理解していただけます。一時、タイルは外装用のものが大量生産されるようになり価格競争に陥りました。適正価格を維持するためには、多くの方にタイルの価値と魅力に気が付いてもらい、実際に使ってもらわなければなりません。そのためにもタイルに対する認識が変わるような、当館ならではのイベントを随時企画していきたいですね。
遠方からも多くの方がいらっしゃるものの、ミュージアムの周辺部はタイル生産エリアだったのでレストランなどのお店がほとんどありません。最近、タイル業者が運営するカフェや雑貨屋さんもオープンしましたが、これからもっとお客様を迎え入れる体制にまちが変わっていくといいですよね。地元の人々が、この地域がタイル産業で成り立っていることを今一度実感し、自分たちでも案内したい「誇れるまち」になるように、当館からタイル産業へ、そしてまち全体へ活気と賑わいを還元できればいいなと思います。
特別展「工場賛歌-釉薬編(2017年8月26日~11月26日)」関連イベントの様子
釉薬を製造する工場の社長自らタイルの色彩について語り工場案内も行った
ミュージアム周辺にあるゴミステーション
地元の女性グループやタイルメーカーなどが制作した約20箇所、すべて違うデザインなのも見どころ モザイクタイルを再評価する動きが地元に広がりつつある
ー地元の方々の「まちへの誇り」を育み、多くの方にタイルの魅力を発信するために、地元産業界の想いが詰まったこのミュージアムが持つ大きな可能性を感じました。本日は貴重なお話をありがとうございました。
(取材日:2018年7月12日)
取材・執筆:宮脇 薫子 金剛株式会社 復興推進本部 戦略室
※取材当時
PHOTO GALLERY
多治見市モザイクタイルミュージアム
所在地:岐阜県多治見市笠原町2082-5
TEL:0572-43-5101
FAX:0572-43-5114
開館時間:9:00~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(休日の場合は翌平日)
※年末年始12/29~1/3の間休館となります
URL:https://www.mosaictile-museum.jp/