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平成28年熊本地震 震災資料を次世代へ

災害から生まれるものー新たな郷土史の萌芽(金剛株式会社)

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執筆:宮脇 薫子 金剛株式会社 社長室   ※所属・役職は取材当時のものです。

 2016年4月14日21時26分、最大震度7を記録する前震が発生。そのわずか28時間後の4月16日1時25 分に、またもや最大震度7を記録する本震が発生した。実は短期間のうちに2度の大地震が熊本を襲ったのは今回が初めてではなかった。1889(明治22)年の7月28日と8月3日、わずか5日の間に熊本は2度にわたる大地震に見舞われたことがあるのだ。熊本市の西に位置する金峰山付近を震源とする、いわゆる“金峰山地震”だ。熊本県立図書館に所蔵されている「明治廿二年熊本懸大震始末」からは、127年前の熊本の大地震の様子が浮かび上がってくる。そこには、揺れの大きさや頻度、国や周辺自治体と熊本県との電報のやり取り、建物の被害、義援金の配分状況などが実に克明に記されている。
 
 過去の記録に学ぶ一方で、震災を経験した我々はこの災害を後世に伝えていく責務を負っているのかもしれない。平成28年のいま、そうした思いから図書館が震災資料を収集する活動が熊本で始まりつつある。1995年の阪神 ・淡路大震災から現在に至るまでの震災資料収集活動の系譜をたどりながら、現在の熊本の図書館における震災資料収集の取り組みを見ていく。
 
 
神戸大学附属図書館「震災文庫」の誕生

 図書館が震災記録を収集し保存する。そんな取り組みは1995年4月下旬、阪神 ・ 淡路大震災直後の神戸大学附属図書館での上司と部下のこんなやりとりから始まった。 
  
―「震災の資料を集めるのが被災地の国立大学の責務と思うができるか」 
―「やりましょう」 
  
 当初は震災に関する一般刊行資料の収集をイメージしていた。ところが、これを引き受けた資料受入担当係長は早くも大きな壁に直面する。一般刊行資料で震災直後から日々変化していく状況を留めたものは新聞以外ほとんどなかったのである。そこで目を付けたのが、ボランティアが作成したニュースレターやポスター、行政が発行する広報資料、個人が撮影した被災後の自宅や避難所の食事の写真などだ。生まれては消えていくそうした資料にこそ、震災から復興に至る日々の営みが記録されていることに気が付き、震災に関するありとあらゆる資料を収集しはじめることとなったのである。体験談や証言集も収集の対象となった。そこには、極限的な非日常の中での、人々の気づきや感情が息づいている。 
 やがて、そうした震災資料を、附属図書館の一角に収集・保存•公開する準備が整った。「震災文庫」の誕生だ。 
 すべてが手探りの中、同年7月には早くもインターネットに収集資料一覧を掲載。10月には約1000 点の資料の一般公開に踏み切った。メディア取材の後押しもあり、資料の収集と利用者増につながっていった。 
 2016年現在も地元の新聞各紙では阪神・淡路大震災に関する記事が1件もない日は一日もないという。現在までに収集した資料の点数は5万点を超え、今も阪神・淡路大震災に関する資料は増え続けている。「震災文庫」が収集した資料群は膨大な郷土史料群であると同時に、研究用資料群としても貴重なコレクションである。防災・地震研究や教科書作成、住宅メーカー、保険会社主催のセミナー等、社会のあらゆる場面で有効活用されている。 
  
  
震災資料収集のパイオニアとして 
  
 「震災文庫」が後の震災資料収集活動に与えた影響は大きい。集めた資料の分類や整理の仕方などを、当時の担当者がーから作り上げたのだ。 
 「震災文庫」では、収集した震災資料の分類を通常図書館で採用されている「日本十進分類法」ではなく、独自に作成した16の分類に則って行っている。「震災文庫」に集まった資料はあらゆる主題を包括しているとはいえ、テー マには偏りがある。 また、自然科学系に不慣れな目録担当者が分類業務を行うことも考慮して、わかりやすい独自の分類を作り上げた。
 集めた資料の保存方法も、担当者が試行錯誤しながら編み出した。収集した資料は書籍だけではなく、チラシやパンフレットなど様々な種類にわたるため、形態ごとの特徴を踏まえて、利用しやすく保存することが求められたのである。その中には一点限りの資料も多く含むことから、保存方法に配慮する必要もあった。 
 集めた資料を多くの人に使用してもらうために、震災文庫では「保存」と「利用」をいかに両立させるかがポイントになっている。 
 
 

震災文庫の分類

神戸大学附属図書館の一角から「1995.1.17」を伝え続ける

 神戸「震災文庫」の大きな特徴は、「震災文庫」という部屋が実際に存在することだ。多くの人に資料を利用してもらうことを目的に、バーチャルライブラリーとして一点ものの資料や動画、音声など様々な資料のデジタル化にも対応している。しかし基本的に、あくまで実際に手に取れるモノとしての「原資料」の収集に力を注いでいる。 
 近年は「震災資料横断検索」の拡充にも取り組んでいる。2009年からは「阪神 ・ 淡路大震災記念 人と防災未来センター」の所蔵図書データとの連携、 2012年には兵庫県立図書館「フェニックス・ライブラリー」との連携を実現させ、合わせて3機関のデータを横断的に検索できる仕組みを完成させた。他機関との連携も強化しながら、「震災文庫」は震災から 21年を経た今もなお「1995.1.17」を伝えて続けている。

神戸大学附属図書館「震災文庫」の入り口

神戸大学附属図書館「震災文庫」の入り口


神戸大学附属図書館の一角から「1995.1.17」を伝え続ける

 神戸「震災文庫」の大きな特徴は、「震災文庫」という部屋が実際に存在することだ。多くの人に資料を利用してもらうことを目的に、バーチャルライブラリーとして一点ものの資料や動画、音声など様々な資料のデジタル化にも対応している。しかし基本的に、あくまで実際に手に取れるモノとしての「原資料」の収集に力を注いでいる。
 近年は「震災資料横断検索」の拡充にも取り組んでいる。2009年からは「阪神 ・ 淡路大震災記念 人と防災未来センター」の所蔵図書データとの連携、 2012年には兵庫県立図書館「フェニックス・ライブラリー」との連携を実現させ、合わせて3機関のデータを横断的に検索できる仕組みを完成させた。他機関との連携も強化しながら、「震災文庫」は震災から 21年を経た今もなお「1995.1.17」を伝えて続けている。


新潟県中越地震専門機関として図書館が担う役割

 2004年10月23日、中越地方を激震が襲う。震度7を観測する大地展は阪神・淡路大震災以来であった。一般的に新潟県中越地震の名で知られるこの大地震は、被災地では「新潟県中越大震災」という名称を用いている。
 新潟県は、2005年に復興へ向けて「新潟県中越大震災復興ビジョン」を発表した。そこには被災地域に災害メモリアル施設を建設する計画や、その施設で使用する資料を「震災アーカイブス」として整備することが盛り込まれていた。「震災資料を収集して活用する」ことが復興計画の初期段階から計画されていたのは、新潟県中越地震の特徴の一つであろう。
 そして地震発生から5 か月後に設立されたのが「新潟県中越大震災復興基金」(以下:復興基金)と「公益社団法人中越防災安全推進機構」(以下:機構)だ。
 2007年、機構は復興基金の事業の一つとして、震災の記録集を作成することにした。しかし、当時機構には震災資料収集事業の担当者がー名しかいなかったので、外部に協力を求めることとなった。そこで開催されたのが「震災アーカイブス検討会」だ。被災自治体や公立図書館の職員などが出席し、各機関の取り組みの情報交換や基金の活用について議論したこの検討会は、担当者同土のネットワーク作りにもー役買った。
 「震災アーカイブス検討会」で話し合った結果、資料の収集・整理作業は、その専門である図書館で行い、整理後、完成した目録を共有することに決定した。その間、機構は震災メモリアル施設での資料の展示や活用の計画を同時並行して進めた。阪神・淡路大腰災に続いて新潟県中越地震でも、震災資料の収集や整理・保存に関して図書館が「専門家」として活躍したのである。


復興基金と震災資料収集活動

 1991年の「雲仙岳災害対策基金」を皮切りに、数々の災害復興基金が設立されてきた。
 新潟県中越地震では復興基金を用いて行う事業を公募し、段階的に事業を増加、改定することで、過去の復興基金よりもきめ細やかな支援を行った。その中で震災資料収集活動に関係するのは「記録・広報」という枠の中の『「震災の記憶」収集・保全活動』という事業である。
 震災資料の収集を行う上で基金を活用するメリットは、以下のような点がある。
 一つ目は、 一旦基金が設立されれば、収集活動全般に対して柔軟に使うことができる点だ。復興基金は制度化されていないので、使い道に関する制約が少なく、適宜内容を変更しやすい。よって、長期にわたって継続する必要がある震災資料収集活動を支える財源として扱いやすいのである。
 二つ目は、迅速な意思決定と事業展開ができる点だ。行政機関が 般予算を扱う際のプロセスとは異なり、基金は運営者が財源の運用を独自に采配できるので、スピー ドが求められる震災資料の収集に適している。
 三つ目は、地域性を反映しやすい点だ。基金を設立する際に国が一定の財源支援をするものの、復興基金を用いた具体的な事業の決定や運用は基金を設置した被災自治体に委ねられる。地方自治体は、被災地の実情を踏まえた的確なニーズを掴んでいるので、復興する過程で地域に寄り添いながら独自性を出せるというわけだ。
 震災資料収集活動において、生まれては消えていく原資料を収集するにはスピードが求められる。また、集めた後、整理・保存・公開というステップを踏むための長期的な支援も欠かせない。加えて、郷土資料としての側面を持つ震災資料収集は地域に根差した活動であるべきだ。震災資料収集活動を推進する上で、基金を活用することは大きな意義がある。


発災から10年「長岡市災害復興文庫」の誕生

 被災して10年の節目に当たる2014年、新潟県中越地震発災直後から被災資料を収集してきた長岡市立中央図書館の文書資料室が、「長岡市災害復興文庫」を開設した。
 これは、地震発生から復興に至る10年の間に収集した「災害復興関連資料」約 5千点と、損壊した土蔵・家屋から救出した古文書等の「被災歴史資料」約2万点を合わせた合計約2万5千点の所蔵資料を再編した資料群で、将来的に災害関係の「歴史公文書」を加えて三本柱にすることを目標としている。
 この復興文庫に欠かせない存在が、「長岡市資料整理ボランティア」だ。発足から10年を超えた今も、古文書の整理や災害に関する新聞資料の整理、資料整理に関する研修などの活動を月2~3回行い、新潟県内の他の資料収集ボランティア団体とも交流している。
 「長岡市災害復興文庫」は、被災してしまった資料と発災後に生まれた資料を合わせて保存していくという全国初の試みを、ボランティアと共に取り組んだ点で、震災資料収集活動の新しいモデルを提示したといえよう。

ボランティア募集のチラシ

「長岡市資料整理ボランティア」募集のチラシ
(長岡市立中央図書館文書資料室HPより)

東日本大震災 被災地の図書館の取り組み
 
 2011年3月11日、東日本大震災が発生。この大震災においてもまた、被災地の図書館職員の手によって、震災資料を収集・保存・公開する動きが生まれた。東北地方の公立・民間・大学図書館が、それぞれに震災資料を集めたのである。自身も被災した職員もいたが、地震発生直後から避難所や施設を回って資料を集めた。避難所に「捨てるならくださいゴミ箱」を設置し、消えゆく資料を集めた図書館もあった。とにかく、捨てられる前に集める…その方針の元に資料収集を行ったのである。
 
 それぞれの図書館が個々に収集活動を進める中、独自のテーマを設けて震災資料を収集した館もあった。網羅的にあらゆる資料を集めた神戸「震災文庫」とは異なるアプローチといえよう。例えば、宮城県東松島市図書館では、収集の対象とした資料の中に「新聞に掲載された東松島市関連記事」がある。 特に、「宮城県外で」東松島市がどのように報道されたのかにも着目した。保存してある記事は、震災以前から定期購読している複数の新聞の中から探し出したものに加え、定期購読外の新聞社から支援の一環で提供された記事もある。また、県外の図書館に依頼して保存年限が切れた新聞の移管も行った。これは、様々な自治体や新聞社からの協力があったからこそなし得た震災資料収集活動である。被災地の外からも、震災資料収集の一翼を担うことは可能なのだ。
 
 
東日本大震災デジクルアーカイプ 「ひなぎく」の誕生
 
 その後、東日本大震災という未曾有の大震災に関するデジタルデータを一元的に検索・活用できるポータルサイトが公開された。それが、「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ」である。通称「ひなぎく」。これは「Hybrid Infrastructure for National Archive of the Great East Japan Earthquake and Innovative Knowledge Utilization」の頭文字を取ったもので、ひなぎくの花言葉「未来・希望・あなたと同じ気持ちです」には復興への願いが込められている。
 東日本大震災発生後、各地の図書館に加えて、民間団体·報道機関・インターネット関連企業・大学・自治体等が各自で震災資料を収集・公開していたため、アーカイブが乱立する状態となっていた。そこでこのサイトと連携することにより、資料へのアクセスが再整備されたのだ。
 2012年4月から総務省が「ひなぎく」の構築をスタートし、公開されたのは2013年3月2016年6 月1日時点で55の団体が連携し、各団体が保有する震災に関する音声・動画・写真・文書などの記録を一元的に検索できるポータルサイトとして活用されている。例えば、神戸「震災文庫」や「長岡市災害復興文庫」に収められた資料を検索することも可能だ。
 バーチャル上でつながることにより、被害が県を超え広域に及んだ東日本大震災の、様々な被災地の情報を網羅することが可能になっている。また、インターネットを介するため世界中の人ががアクセスできる。神戸「震災文庫」も 一部がデジタル公開されており、日本語と英語表示に対応しているが、「ひなぎく」では、英語に加えて中国語・韓国語にも対応している。 
 
 

ひなぎくのトップページ

「ひなぎく」トップページ(9月16日閲覧)(http://kn.ndl.go.jp/#/) 

ひなぎくの詳細検索画面

「ひなぎく」詳細検索画面(9月16日閲覧)(http://kn.ndl.go.jp/#/


原資料とデジタル資料

 史上類を見ない巨大な震災デジタル・アーカイブの構築を可能にしたのは、阪神・淡路大震災の時代に比べて進んでいたデジタル化だ。デジタル時代を迎えていたおかげで、国会図書館と官民問わずの大規模での連携が可能になった。また、個人レベルでのデジタル機器の普及もデジタルアーカイブ成立の理由の一つだ。東日本大震災は、デジタルカメラ・スマートフォンなどで写真や動画を簡単に撮影する時代になって初めて起きた未曾有の災害だった。多くの人が、目の前に広がる光景を「記録せねば」という想いに駆り立てられ、結果として膨大な量のデジタル資料が生み出されることになったのである。
 加えて、東日本大展災では地震だけでなく「津波」という動的な災害をも経験し、動きのある災害を記録するものとしてデジタル資料は適役だった。
 「ひなぎく」によって我々がアクセスできる情報の多さは、神戸「震災文庫」 から16年が経過し、新潟県中越地震を経て、震災記録の重要性が世間に浸透してきたことを表しているのはないだろうか。
 図書館の役割として原資料の収集・保存・公開は重要な責務だ。それと並行して、世界中からアクセスできるデジタルアーカイブの構築を行うことも、同様に重要な取り組みだといえる。


熊本地震からひろがる震災資料収集の輪

 阪神・淡路大震災から21年にわたって受け継がれてきた「震災資料の収集・ 保存・公開」という活動では、〈震災資 料収集〉という共通テーマを通じて形成された、図書館職員を中心にしたネットワークが各地で大きな力を発揮した。
 熊本も例外ではない。熊本地震発生後、大学図書館や公共図書館といった複数の図書館の間で館種を超えたネットワ ークが広がりつつある。地域資料に特化する館、行政資料に特化する館、学術資料に特化する館…それぞれの館の得意分野を活かしながら、熊本地震の震災資料を全方位的に残し伝えようとしている。そこにあるのは、「熊本の歴史に1ページを刻んだ『平成28年熊本地震』を未来に伝えたい」という共通の想いだ。冒頭でも触れた127年前の「金峰山地震」。その存在は、2016年を生きるどれだけの熊本県民に知られていただろうか。大災害を郷土史として伝え残せるかどうかで、地域が歩む未来の形は変わる。図書館職員が持つ資料管理 のノウハウを発揮するべき時が来た…そんな強い想いを抱いているのだ。


「先輩方」の背中を追って

 これから熊本地震のアーカイブを作るにあたり、乗り越えなければならない課題が浮上している。代表的な課題は次の三つだ。

課題
1、資金と人手不足
2、中心的立場の不存在
3、保存方法と場所

 では、これらの課題解決の糸口を神戸「震災文庫」以来受け継がれてきた震災資料収集の歴史に求めてみるの はどうだろうか。


①「資金と人手不足」
 長期的に収集活動を行っていく上で避けて通ることのできない問題である。
 資金不足という点では、基金を活用して安定した財源を確保するのはかなり有効な手段と言えよう。また、人手不足という点においては、新潟県中越地震に見られるようにボランティアの手を借りるのはどうだろう。震災資料の収集活動に携わることで、自分たちが経験した地震をもう一度捉え直すきっかけになり、震災の記憶を風化させないことにつながる。

②「中心的立場の不存在」
 現在、熊本県内の図書館は個別に収集活動を行っている状況である。そのため、今後各館が収集した資料を横断的に活用する際に意思の統一を図るのが難しい。
 そこで、基金を財源として事業を行う機関を設定するのはどうだろうか。そうすれば中心となる機関が明らかになる。新潟県中越地震でのように、活動の役割分担を行う場合も、意思決定機関があればスピーディーかつ柔軟な震災資料収集活動が可能になる。

③「保存方法と場所」
 保存方法を考える際には、貴重な資料をしっかりと「保存」し、いかに多くの人に「利用」してもらえるかを考慮する必要がある。
 その点で「ひなぎく」のようなデジタルアーカイブは効果的だ。資料をデジタル化して公開すれば、多くの人が収集した当時の状態を見ることができる。しかし、デジタル再生機器の変化に合わせてデータの形をこまめに焼き直しながら保存する必要がある。
 並行して原資料を残すことも意義がある。これに関しては、原資料の保存方法のパイオニアである神戸「震災文庫」から多くを学ぶことができる。
 保存場所に関しては、残念ながら現時点で解決の糸口を見出すことはできない。なぜならば、過去の事例を参照すると、この問題を解決した方法は被災地によってケースバイケースであり、未だに解決していない館もあるのだ。
 一つ明らかなのは、館種によらず図書館は公的な施設であるということだ。よって、仮に「震災文庫」や「長岡市災害復興文庫」のように、図書館の中に原資料を保存する場所を設けるならば、利用者の理解を得ることが必要不可欠となる。震災資料収集活動の意義を広く一般に理解してもらうことが、保存場所問題を解決するための第一歩であろう。
 
 活動の初期段階から館種を超えた図書館職員が顔を合わせ、一つにまとまりながらアーカイブを作ろうとする熊本の動きは、これまでの震災資料収集活動の歴史の中で初めてのことである。阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災における資料収集活動の「先輩方」の背中を追いかけることで、5年後、10年後、20年後の熊本の姿が見えてきそうだ。


おわりに

―『復興は、震災を忘れることではありません』

 神戸に建つ「人と防災未来センター」 の展示スペースに掲げられている一節だ。
 災害によって傷ついた町は、いつの日か元の機能を取り戻し、人々の営みの中からその時の記憶は薄れゆく。時が経てば、災害を経験していない世代が増えてゆく。では、かつてその土地に起こった災害のことを忘れて平和な日々を過ごすことは、本当に「復興した」と言えるのだろうか。
 私たちは、災害に遭った経験を忘れてしまうのではなく、資料の中にある記憶を記録として災害対策に役立てなければならない。そして、その記録から次の世代へ伝えるための記憶を紡いでいかなければならない。郷土史の1ページとして起こった「災害」を超え、そこから人々がどのように立ち上がるのか…「復興」へ続く営みはいつの日かかけがえのない郷土の文化となるのだから。


くまもと森都心プラザ図書館が保存しているA4用紙

筆者が震災時、携帯電話にて撮影


2016年4月21日 食料が手に入り辛い中で復旧作業を行っていた金剛社員のために福岡県から運ばれたお弁当に添えられていたメッセージである。
数日間にわたって届けられたお弁当には、毎回異なるメッセージが書かれていた。
我々社員が、どれだけこのメッセージに勇気づけられたことか…。
たった一枚のA4用紙も、震災当時の記憶を蘇らせる「震災資料」なのである。



参考文献
・稲葉洋子(2005)『阪神・淡路大震災と図書館活動:神戸大学 「震災文庫」の挑戦』人と情報を結ぶWEプロデュース

・青田良介(2011)「被災者支援にかかる災害復興基金と義援金の役割に関する考察」『災害復興研究』 Vol.3,p.87-117, 関西学院大学災害復興制度研究所

・稲葉洋子(2012)「神戸大学『震災文庫』の新たな役割 阪神地域と東北地域をつなぐ図書館員のネットワーク」『情報管理』vol.55,No.6,p383-391, 独立行政法人科学技術振興機構

・諏訪康子 「国立国会図書館東日本大展災アーカイブ(ひなぎく)の現状」『情報の科学と技術』vol.64,No.9.343-346, 一般社団法人情報科学技術協会

・稲垣文彦,筑波匡介 「新潟県中越大震災に関する記録の収集と活用 主に利活用の観点から」『情報の科学と技術』vol.64,No.9.366-370, 一般社団法人情報科学技術協会

・稲葉洋子(2015)「震災記録のアーカイブの運用:『震災文庫』 の経験から(<特集>震災アカイブ)」『情報の科学と技術』vol.64,No.9,p.371-376, 一般社団法人情報科学技術協会

•井庭朗子,小村愛美,花崎佳代子(2015) 「神戸大学附属図書館 『震災文庫』 利用の現状と課題」『カレントアウェアネス』No.325,p.2-4 国立国会図書館

•公益社団法人中越防災安全推進機構・復興プロセス研究会(2015)『中越地震から3800日~復興しない 被災地はない-』ぎょうせい

•長岡市立中央図書館文書資料室(2015)『復興10年フェニックスプロジェクト 中越大醒災10周年 「災害と復興をかたりつぐ」事業 リレー講演会 「災害史に学ぶ」記録誌』 長岡市

•加藤孔敬(2016)『東松島市囮書館 3.11 からの復興 東日本大震災と向き合う』日本図書館協会

•河瀬裕子(2016)「震災記録を図書館に~震災文庫 作ったひとに聞いてきた!-J
(2016年7月23日講演)

参考サイト
・神戸大学附属図書館 震災文庫
・公益財団法人新潟県中越大震災復興基金
・公益社団法人中越防災安全推進機構
・長岡市災害復興文庫
・国立国会図書館東日本大震災アーカイブひなぎく
・政府広報オンライン 震災の記録·教訓を次世代に伝える国立国会図書館 東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」