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被災文化財の救援

九州国立博物館

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話し手:本田 光子 九州国立博物館学芸部特任研究員・「みんまも」事業事務局  ※所属・役職は取材当時のものです。

―去る6月20日、熊本地震で被災した 文化財の救出を目的とした「文化財レスキュー事業」がスタートしました。これまでも東日本大震災など各地で成果を挙げてきた文化財レスキューですが、今回の熊本地震でここに至るまでの経緯を教えていただけますでしょうか。

  文化財レスキュー事業の発足に先立って、地元の大学や博物館美術館図書館関係者により、発災後まもなく、被災史料レスキューネットワークが立ち上がり、被災文化財のレスキューが開始されました。また、博物館による「資料を捨てないで!」の呼びかけや県内博物館等施設の被害状況把握も迅速に行われています。この度の文化財レスキュー事業は、こうした組織や団体を県がまとめ、九州救援対策本部と共に進めていくものです。 一方で、九州各県のミュージアム関連部局の連携協力の動きもありました。 
 熊本県からの要請に基づいて九州各県の文化財専門職員が文化財の被害調査にあたったのです。県境を越えた公務員の広域的相互支援活動というのは、災害時応援協定によりライフラインの復旧や避難所運営、医療支援などではあたりまえのものとなっていますが、実は被災文化財の調査支援活動という領域においては全国的に見て例のないことです。発災から2か月足らずのうちに立ち上げることができて、まずは良かったと思っています。

出典:文化庁 熊本地震文化財レスキュー事業スキーム図
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2016062003_besshi03.pdf

―九州はなにか特別な背景があったのでしょうか。

 文化財の危機管理をテーマに、九州各県のミュージアム担当職員が一緒になっていくつかの活動をしていたのが奏功しました。発災直後から各県の担当部局に連絡をとっていたのですが、すでに ‘‘顔が見える関係”ができあがりつつあったので効率的に話を進めることができました。 この “顔が見える関係”の基本的な枠組みとなったのは平成18年に始まった「九州・山ロミュージアム連携事業」です。九州地方知事会が主体となって立ち上げた政策課題のひとつで、長崎県に事務局が置かれています。九州国立博物館は平成23年度からこの事業とも連携しつつ「市民と共にミュージアムIPM」事業(~平成25年度)に取り組んでいました。IPMとはIntegrated Pest Management (総合的有害生物管理)の略で、化学薬剤だけに頼ることなく複数の方法を合理的に組み合せ、適切な環境対策を行うことによって、虫やカビによる被害を防除する手法です。臭化メチル全廃(平成17年)の流れを受けてそれまでの煉蒸に変わるやり方として注目されるようになりました。 IPMの実践範囲は収蔵庫だけでなく館全体に及びますので、資料保管のみならず来館者にとっても心地よい空間が生まれることになります。 ミュージアム施設は文化財保護行政のフロンティアであり、市民の理解を得なければ存続しえない施設です。文化財と施設に関わるすべての人にとって心地よい環境を実現するために職員や学芸員は当然勉強しますが、利用していただく市民の皆さん、さらには社会全体にも応援していただけるような状況も作らなければいけません。そういった考えから、九州国立博物館では自館が位置する旧・筑紫郡(太宰府市、春日市、筑紫野市、大野城市、那珂川町) のミュージアム関係者や市民の皆さんとともに、平成17年の開館直前からIPMの実践に取り組んできた経緯がありました。平成19年度からはIPMという考え方を普及させるための研修プログラム作りとして「市民と共にミュージアムIPM」という事業に取り掛かり、平成23年度からは先述の九州・山口各県のミュージアム所管課職員と活動を共にするようになったわけです。これらの活動を通じて、県境、館種、立場を越えた共通意識の醸成が進みました。 平成25年度までの活動の結果、IPMの研修プログラム作りについては一定の目標を達成し、次にどういったことに取り組みたいか九州各県ミュージアム関係者にアンケートをとったところ「防災・危機管理」という要望があがってきました。折しも東日本大震災の後ということもありましたし、文化財の危機管理という点でIPMとも通底するところがありましたので、自然な流れで 「防災·危機管理」の取り組みに移行することができました。 これが「みんなでまもるミュージアム」事業(通称:「みんまも」事業)です。平成26年度の開始当初は、「みんなでまもるミュージアム」という名称でしたが、 2年目の平成27 年度からは、「みんなでまもる文化財みんなをまもるミュージアム」という名称に改めました。社会全体で文化・文化財を守るという趣旨に加え、文化財を守ることが地域のアイデンティティを守りレジリエンスを作り出していくという趣旨に鑑みてのものです。

自然環境ワークショップ
(H23年度ミュージアムIPM研修会)

ダスト観察ワークショップ
(H23年度ミュージアムIPM研修会)

―人的なつながり、東日本大震災による防災意識の高まりなど、数々の事情があいまってIPMから防災・危機管理の取り組みに発展したのですね。「みんまも」事業は具体的にはどのようなものなのでしょうか。

 文化財の防災・危機管理能力を高めるための研修プログラムの策定です。取り組みにあたり三つの柱を立てました。 一つ目は「平常時に何をしたらよいのか」、二つ目は「被災時に何をしたらよいのか」、三つ目は「防災・危機管理の総合力を高めておくためにはどうすればよいのか」というものです。 これら三つの柱を軸に「被災地に学ぶ」「災害に備えている地域に学ぶ」という考えのもとに活動を進めました。「被災地」というのは阪神・淡路大震災や新潟県中越地震、東日本大震災などの被災地です。「災害に備えている地域」というのは東海地震に備えて長年にわたり準備を進めている東海地方などです。 初年度にはそれぞれの自治体が定めている地域防災計画の中で文化財がどう位置付けられているかをみんなで学び、理想形を話し合うということをやりました。二年目には各地のミュージアム施設や団体の防災・危機管理に関する取り組みを学ぶスタディ・ツアーや、資料レスキューのワークショップなどを行いました。 

―報告書を拝見すると、座学だけではない実践的な活動を数多く重ねていらっしゃることがよくわかります。

 こういった取り組みを重ねる中で、防災・危機管理に対する問題意識の共有化が進み、IPMで形成された人的なネットワ ークをさらに深めることができました。 「みんまも」事業最終年の平成28年度は、災害時に九州・山口の各県が連携して相互支援できるように、まずは各県の地域防災計画に文化財のことをきちんと位置づけるようになることを目指していました。 これが災害時の応援協定の前提となるからです。 ところが、その矢先に熊本地震が発生したのです。

水損文書処置ワークショップ
(H26年度みんまも第1回研修会)
 

写真整理体験ワークショップ
(H27年度みんまも第2回研修会)

免震台機器展示
(H27年度みんまも第3回研修会)

―まさに応援協定締結に向けて道半ばでの地震だったわけですね。でも実際は災害時の応援協定が無い中で各県の応援が得られたと。

 協定書があればもっと早かったかもしれません。「みんまも」事業を通じて各県の担当部局や担当者を把握できていましたので、どこに応援要請を出せばよいかはわかっていました。 ミュージアム所管課というのは、自治体によって知事部局に属している場合と教育委員会に属している場合の両方があります。「みんまも」事業は知事部局と教育委員会のそれぞれに属するミ ージアム所管課の職員や各県拠点館学芸員あわせて50 名ほどの集まりですが、組織の壁を越えた協力体制も夢ではありません。 とはいえ、4月に入ってすぐの地震でしたから「みんまも」事業に関わっている担当課長が異動で代わっている県も多くありました。 しかし、この事業を通じてできあがっていた基本的な関係を頼って各県の担当課長さんを訪ねることができました。そうして熊本地震における被災文化財に対する各県の現場レベルでの問題意識の共有化が図れたころ、5 月31日に熊本県知事から九州各県に対して救援要請文書が発出されました。まだ発災から2か月にも満たない時期で、行政としては被災者の生活再建を最優先としなければならない時期です。 ただ一方で、瓦礫処理も進んでいきますので、瓦礫に埋もれた文化財も早期に救出しなければ取り返しのつかないことになってしまいます。この両方のことを理解した上で各県に要請を出すというのは、とても大きな決断だったと思います。この知事発出の文書に基づき、6月10日にスケジュール等の詳細な内容を伴う要請が出され、各県から専門職員が熊本県入りして文化財の被害状況調査を行うことができたわけです。 最初の調査期間は6月15~17日の3日間、6月10日に出された具体的な要請からわずか5日後のことです。協定無しの状況ながらここまで進められたのは、やはり “顔が見える関係”のおかげと思います。

 ―被災状況の調査が進むと、いよいよ 文化財レスキュー活動が本格化していくことになりますね。

 被災状況の調査を一段階目とすると、二段階目はレスキューに必要な人員と資材の整備ならびにスケジュールの策定、三段階目はレスキュー活動となります。 対象となる被災文化財の状況に応じてこれら一 ~三段階目を同時進行で進めていきます。 具体的な運用、改善など、まだまだ課題はたくさんあります が、ここからは文化庁の呼びかけによる文化財レスキュー事業のスキームのもと、九州国立博物館と国立文化財機構防災ネットワ ーク推進室による救援対策本部により、着々と支援体制の整備は進んでいます。その一方で熊本の現地は「受援体制」の整備にたいへんなご苦労されていることと思います。引き続き、支援と受援の両方の体制を脱みながら、これまで構築してきたネットワークをベースに取り組みを進めていきたいと思います。

―本日はお忙しい中、貴重なお話をお聞かせいただきましてありがとうございました。  

 
(取材日:2016年7月13日)
取材・執筆:矢賀部 仁 金剛株式会社 社長室
※取材当時