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話し手:稲葉 継陽 熊本県被災史料レスキューネットワーク代表 熊本大学文学部附属永青文庫研究センターセンター長 熊本大学 教授 ※所属・役職は取材当時のものです。
―先生は4月14日、16日の熊本地震発災直後に「熊本被災史料レスキューネットワーク(以下「熊本史料ネット」)を立ち上げて、早い段階から被災史料レスキューの活動に取り組んでおられたそうですね。
4月23日に「熊本史料ネット」を立ち上げ、7月までの間に熊本県博物館ネットワークセンターや熊本市立熊本博物館とともに40件ほどのレスキューを行ってきました。
私は日頃、熊本大学で教鞭を執っています。専門は戦国時代の村落や地域社会で、2005年からは、毎年夏に日本史研究室の学生とともに県内の民家に所蔵されている古文書の目録を作成する実習を行ってきました。所蔵者のお宅へ伺って実際の史料を調査・整理し、実習報告書まで作成するというものです。
4月16日の本震後すぐに報道を通じて、かつて実習でお世話になったお宅がある地域が大きな被害を受けたことを知り、古文書のレスキュー活動に取り組むことを決意しました。最初にレスキューしたのは4月20日です。8年前に実習で伺った上益城郡西原村の地主のお宅にある史料でした。先方との連絡は、実習当時にお世話をしてくれた地元の文化財行政担当の方が間を取り持ってくださいました。
この時の経験から、被災史料の救出には組織的な活動の必要性があると感じ、大学教員や博物館の学芸員などの仲間を募って熊本史料ネットを設立することになったのです。事務局は熊本大学の永青文庫研究センターに置きました。
その後、西原村と同じく被害が大きいと聞いていた甲佐町のお宅にもこちらから連絡をしてレスキューに伺いまし た。そちらは幕末まで庄屋を世襲していらっしゃったお宅で、近世前期~幕末期の文書群を所蔵されていました。2005年に実習を受け入れてくださったことがあったのですが、今回、レスキューしてみて驚いたことがありました。文書箱が新調されていたのです。実習を受け入れていただいた当時のご当主が、我々の実習の申し入れをきっかけにご自身の持つ史料の価値に目覚められて、後世に残すべき史料として文書箱を新調していたのです。今回はそれらの大型文書箱20箱をレスキューすることができました。
その他にも、熊本史料ネットのことを新聞で知った方々から問い合わせを頂いたり、知人から「ここのお宅が被害を受けたので史料を預かってほしい」という連絡が直接来たりしたこともありました。実習だけでなく地域の文化財行政に協力しながら培ってきた人脈も活きたと思います。
レスキューした史料は私の研究室や永青文庫研究センター、宇城市の熊本県博物館ネットワークセンターなどに運び込みました。所蔵されていたお宅の再建に時間を要することなどから、持ち主の方にお返しすることができるようになるのは、まだ先のことになりそうです。
熊本史料ネットの事務局がおかれる永青文庫研究センター
(熊本大学黒髪キャンパス)
―7月からは文化庁所管で発足した文化財レスキュー事業に熊本史料ネットとして参加していらっしゃるとお聞きしました。文化財レスキュー事業発足までの経緯を教えて下さい。
4月25日に、熊本史料ネット立ち上げの報告と協力依頼のために熊本県庁の文化課を訪ねました。その時初めて知ったのですが、私より一足先に九州国立博物館の本田さんや神戸史料ネットの奥村さん、文化財防災ネットワーク推進室長の岡田さんらが熊本県庁を訪れて、組織的なレスキュー事業を始めようという話を持ち掛けていらっしゃったそうです。そのキックオフミーティングを4月26日に開催するということだったので、私も参加することにしました。キックオフの時点で、文化庁のスキームでのレスキュー事業にしていく意識 はありましたが、実際にどうなるかは分からない状況でした。その後、何度もすり合わせの会議を行い、6月の発足、7月の本格活動開始へと繋がっていきました。
―レスキュー先はどのように決めたのですか?
まずは被災状況の調査から始めました。1998年に熊本県が作成した2千数百名に及ぶ県内の古文書所蔵者リストがありましたので、これを活用することができました。報告書のデータ化の作 業は東北の史料ネットの方々が手伝って下さったおかげで数週間ほどで終えることができました。そのデータを県の文化課へ提供し、県の方から各自治体の文化財保護委員という一般のボランティアの方々に被災状況の事前調査をお願いしていただきました。
古文書の所在を県全域で把握できていたのは、1995年に熊本県立図書館で取り組んでいた「熊本県古文書等所蔵家別目録作成事業」という事業の功績が大きかったといえます。地元の文化財保護委員が調査を行い、情報を県立図書館が集約して報告書にしていたのです。この時の情報をもとにしてできたのが1998年作成の所蔵者リストでした。
ただ、このリスト作成から18年が経っているため、その後コミュニケーションがなかった方々に連絡を取るのには苦労がありました。当主が代替わりされていて、今の当主は文書のことを知らなかったり、引っ越してしまっていたりすることもありました。一度リストを作成した後も、自治体の担当者などが古文書所蔵者との関係を維持しておき、最新の情報へ更新しやすい体制を作っておくことが重要だと感じます。
―これまでの活動で見えてきた課題などはありますか。
この文化財レスキュー事業は今年度いっぱいの時限的な事業であることです。年度内にもとの保管場所に戻せる史料はほとんどないため、非常に難しい問題です。これまでレスキューしてきた史料については、「九州救援対策本部」の名前で仮預かり証を所蔵者に発行していますが、「九州救援対策本部」もまた時限的組織です。これを本預かり証に変更していかなければならないのですが、来年度以降の体制が見えていません。法的にも預かり主体を明確にしておかなければならず、今後どうしていくかが問題です。
永青文庫研究センターに運び込まれた被災史料
―今回の一連のレスキュー活動を通して、災害時の被災史料レスキューに関するご提言などはありますか。
今回は実習を通して築くことができていた所蔵者との関係や、日ごろの研究で地域史料を取扱う中でできていた地元の方との関係のおかげで、初動はスムーズだったと思います。やはり、研究者や学芸員、文化財行政職員、史料の所蔵者などが日ごろからコミュニケ ーションをとっておくことが肝要です。
阪神・淡路大震災から21年。数々の災害の経験を経て、災害時の未指定文化財レスキュー活動がこうして文化庁所管で公的事業として行われるようにまでなってきました。全国の国立博物館4館をはじめとした主要文化財施設を所管する国立文化財機構でも防災推進室ができ、九州国立博物館でも防災に関する事業に取り組まれていました。おかげで熊本の文化財レスキュー事業は4月26日という非常に早い段階で立ち上げに向けた会議が開催されるまで至りましたが、実際に動き出すにはそこから3ヶ月かかりました。災害時は被災者の方々の生活再建が最優先になりますので、文化財レスキュー事業が動けるようになるにはどうしても一定の期間を要します。この現実を踏まえ、初動はやはり地域に根差した活動をやっている人たちがしっかりとボランティアとして 動き出せる体制が整っている必要があります。
ネットワークが普段からできているかどうか、先頭を切って動いて下さる九州国立博物館のような存在がいらっしゃるかどうかで、初動や組織的レスキューの開始にかかる時間も変わると思います。
熊本の場合は未指定文化財の所蔵リストがあったのでそれをもとにして面的なレスキュー事業が展開できましたが、全国的にはこうしたリストがない地域のほうが多いです。また、熊本もそうだったように、リストがあってもデータが古いこともあります。リストが整っていないと、そもそもどこに救出すべき史料があるかを自治体史でしらみつぶしに調べる所から始めなければなりません。日頃からリストを作り、それを最新の状態に保てる体制を作っておくべきです。 また、市民レベルでの古文書への理解醸成も大事です。住民主体で地域文化おこしに取り組んでいらっしゃる地域もありますので、古文書についての講演会などを開催して、地域のアイデンテイティとして認識しておいて頂くと良いのではないかと思います。
―地道とも思える地域での活動が有事の際に鍵を握るのですね。熊本大学がその中心的役割を担ってきた背景が何かあるのでしょうか?
熊本大学は地域との関わりがさかんで、西原村史も熊本大学の教授たちが総出で作ったほどです。また熊本という地域には古くから文書史料を大切に保全してきた歴史を見て取ることができます。先人たちの文書史料に対する情熱は明治4年(1871年)の廃藩置県、さらには宝暦2年(17 52年)から始まった宝暦の改革にまでさかのぼります。宝暦の改革は熊本藩の藩主であった細川重賢が断行したもので、大変な成功をおさめた改革とされていました。廃藩置県によってその記録を留めた藩政史料は散逸寸前となるのですが、旧家臣たちが「列藩の模範にもなった熊本藩の治績に関する記録の散逸を許せば、将来の国史編集に与える損失は甚大となる」と危ぶみ、熊本藩政のありさまを将来に伝えるために、藩政史料の回収と目録作成を行ったのです。その時の旧家臣たちの趣意書によれば、回収した資料は「玉石を選ばずに悉皆(全て)」とされています。こうした活動が廃藩置県の翌年から始められていたことは極めて注目すべきことです。これらの史料は細川邸で保管され、その後、熊本大学に移管されて現在に至っております。史料とともに受け継がれたのは、旧家臣たちの強烈な自負心だったわけです。 地域の史料研究は派手な業績にはなりませんが、そういったものの中にも貴重な史料が多くあることを私たちは知っています。だからこそ、実習も目録作成の後の報告書まできちんと作るようにしているのです。 残るべくして残った文化財はどこにもありません。 後 代に伝えようとする意志を持ち、努力を怠らなかった先人たちの営為の賜物といえます。
稲葉教授
今回レスキューした史料についても、これからが踏ん張りどころです。レスキューして終わりではなく、レスキューしたものを所蔵者へ返すまでが一連の流れなので。発災から5年を経た東日本大震災の被災史料は今でも130件以上返されていないとのことです。私たちも長期戦になることを覚悟して臨む必要があります。
―本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
(取材日:2016年8月22日)
取材・執筆:矢賀部 仁 金剛株式会社 社長室
※取材当時