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話し手:金子 久美子さん(天草市立天草アーカイブズ 館長) ※所属・役職は取材当時のものです。
ー天草アーカイブズ様の沿革について教えてください。
天草市立天草アーカイブズは公文書館法にもとづき平成14年4月に設置されました。平成18年の合併で天草市が誕生する前でしたので、開館当初は「本渡市立天草アーカイブズ」という名称でした。平成23年の公文書管理法施行以来、国をはじめとして各自治体でも公文書管理に対する取り組みが活発化してきていますが、当館はその9年前から公文書の重要性を認識し取り組んできたわけです。
貴重書庫では、古文書や郷土資料を中性紙箱で管理している
ー全国に先駆けて公文書管理の重要性に着目したきっかけはなんだったのでしょう?
当館が開設される以前に古文書の類を収集、管理していたのは本渡歴史民俗資料館でした。しかし当時は学芸員資格者で古文書を読める技術を持った者はおりませんでした。そのような状況の中、現学習院大学大学院の安藤正人教授(以下、安藤先生)が調査活動の支援を申し出てくださり、平成9年に「天草史料調査会」という会を立ち上げられました。この活動は、現在は「天草アーカイブズ夏期史料調査事業」へと引き継がれ、毎年夏になると研究員や院生が15名ほどで天草に集まり、目録作成などをしてくださいます。そのような活動を継続されていた中、平成12年に安田公寛市長(当時・以下、安田市長)が当選した際、天草史料調査会と市長の交流会の席上で市長が「透明性のある政治を目指す。そのために情報公開を進んでやっていく」といった趣旨のことをおっしゃられました。これを受けて安藤先生が、「情報公開法の名のもとに現用文書の管理を徹底する反面、保存年限の満了したものについては重要な資料でも機械的に処分されている現状があります。その点どうかご考慮ください。」と市長にひとこと進言されました。安田市長はその日、一晩で安藤先生の著書『草の根文書館の思想』を読み上げ、安藤先生のご進言の真意を理解されました。翌日には役所の廊下に積み上げられた廃棄待ちの文書の山の処分を止めさせ、重要な行政財産が失われてゆく流れに歯止めをかけたのです。これが現在の天草アーカイブズに繋がる全ての発端です。
ーその後、天草アーカイブズ開設に至る道のりを教えてください。
安田市長と安藤先生の出会いから1年2か月後となる平成13年10月、「本渡市公文書館設置審議会」が開催されました。その後、安藤先生が中心となって答申書を提出され、平成14年4月には本渡市立天草アーカイブズ条例が施行、本渡市立天草アーカイブズの開館に至りました。これはとにかく異例の速さです。最初に明確な理想が掲げられてそれをトップが深く理解してトップダウンで進んだのがよかったのだと思います。平成14年当時ですからアーカイブズという言葉も今ほど認識されていませんでした。学習院大学がアーカイブズ学専攻課程を開設したのが天草アーカイブズ開設から6年後となる平成20年のことです。この時安藤先生は専攻主任として着任されました。今考えると私たちの取り組みを追いかけるようにアーカイブズに対する認知度も高まり法制度も整備されてきました。もしも安藤先生が天草に来ていなかったら、もしも「天草史料調査会」が無かったら、もしも安田市長が交流会に来ていなければ・・・いろんな偶然の出会いが積み重なって現在の天草アーカイブズに繋がっていると思うとなにか運命の様なものを感じます。 ー対象としている文書、資料は行政資料に絞られていないわけですね。行政文書や行政刊行物といった行政資料のみならず、古文書や郷土史家から寄贈された天草に関する研究図書、郷土新聞、写真や映像資料に至るまで幅広い資料を扱っています。あらゆる資料が相俟って初めて天草が理解できるようになりますので、扱う範囲を行政資料のみに絞るというようなことはしておりません。
ー行政文書の受入れはどのような手続きを経ているのですか?
天草市内で発生した行政文書は、あらかじめ定められた保存年限を満了すると原課から天草アーカイブズに移管されます。移管対象はとにかく「全て」です。年間およそ1千箱にのぼります。全ての文書に目を通して評価・選別を行い、廃棄のものについては私たちが焼却場まで持っていきます。評価・選別・廃棄といった文書の最終的な扱いに関するあらゆる決定権は当館が握っております。これはとても強力です。通常は公文書館が文書目録を参考にしながら保存が必要と判断する文書を引き渡してもらえるよう原課にお願いするというスタイルのようですが、天草市では原課が独自の判断で最終処分することは許されておりません。これも天草アーカイブズが全国から注目される所以ではないかと思います。
全ての文書に目を通し、内容を吟味して廃棄/保存の選定を行う
ー文書の評価・選別はどのようにされているのですか?
公文書管理法には「歴史公文書等」という表現がありますが、私たちは歴史的価値の有無のみで判断するといったことはしておりません。その資料に歴史的価値があるかどうか、その多くは後世の方や世相などが判断することであって、現在の私たちがその判断に手を加えるようなことをしてはいけないと思っております。この天草市という自治体、そして住民の方にとって重要かどうかという観点で評価・選別をしています。そしてそのようなふるいにかけて残ったものは「重要公文書」と呼んでおります。
ーどのような文書を「重要公文書」とされているのでしょうか?
文書に記録されている業務自体の重要性を考え、それが天草市の行政財産として価値があるかどうかを個別具体的に評価するようにしております。ですから、文書の名称や種類だけで基準を一律に設けて中身も見ずに廃棄してしまうようなことはしません。必ず全てに目を通すようにしています。例えば「業務日誌は廃棄対象とする」としてしまうと全く残らなくなってしまいます。たしかに、「今日は誰それが来た」というような日常的な内容のものであれば保管の必要はないのですが、防災交通係などの業務日誌の中には災害の第一報が記されていることがあり、そういったものは重要な資料として保存の対象になります。行政各部の事務を理解する必要性がありますので、当館のスタッフは全員が自治用語辞典などを活用しながら作業にあたっています。
一次選別を終えた文書は分類・整理されて移動棚に並べられる
廃棄箱詰と判断された文書はめされて廊下で搬出を待つ
分類・整理をした資料は目録としてデータベースに登録される
ー文書発生の際のルールはあるのでしょうか?
それぞれの文書をどういったルールに則って作成、分類し、保存年限は何年にするのかといったことは行政内部の文書管理規則で定められています。現在、条例化に向けた準備を進めていますが、天草アーカイブズはこの条例化に向けた活動にも深くかかわっています。
ー日常の文書整理業務を行いながら制度作りにも関わるわけですから負担はとても大きいですよね。
はい。たしかに負担は大きいですが、行政文書の最終的な扱いを担う立場としては当然だと思っております。
ーさらに合併前の文書が大量にあるそうですね。
平成18年に本渡市をはじめとした2市8町が合併して現在の天草市になりました。このとき2市8町分全ての文書が当館に集まりました。2万箱という大量の文書です。しかも旧自治体ごとに分類がまちまちでしたので、まずこれを一元化し、整理するのに5年かかりました。現在は伝票のような軽微な資料の廃棄と大まかな振り分けといった一次選別を順次行っているところです。一時選別が終了したものは、最初の分量からすると約四分の一程度の量に減りました。最初はどのような分類にするかも決まっておりませんでしたし、一度見ただけでは重要かどうかの判断がつかないものもたくさんありました。その簿冊だけ見れば重要ではないと思っていても、他の簿冊との関係で重要性が高くなるようなケースも多々あります。選別対象の資料群を繰り返し3周は見直したと思います。そのように試行錯誤しながら少しずつ分類も決まってきましたし、資料の重要性も判断できるようになってきました。これから二次選別と言って業務ごとに細かい評価・選別をしていくところです。
ー金子館長は以前から公文書管理のご経験をお持ちだったのでしょうか?
ここに来る前は主婦でした。主婦業の傍ら、本渡歴史民俗資料館で資料整理のアルバイトをしておりました。先ほどお話しした平成12年の安田市長当選後の安藤先生の意見交換会の直後、「金子さん、明日から段ボール箱集めばするよ」と言われ、あちこちのスーパーや量販店をまわって大量の段ボール箱を集めはじめました。そうして廃棄されそうな公文書を収集する作業に関わる中でその重要性を認識するようになりました。「本渡市公文書館設置審議会」の公募があった際、これは私がやらなければと志願して審議会委員になり、その後も「本渡市立天草アーカイブズ運営審議会」の活動に関わっていましたところ、当時の館長から頼まれて後任を引き継ぐことになりました。合併後の平成19年のことです。ずっと主婦でしたから行政のことはさっぱりわかりません。天草の歴史のことも古文書の読み方もわかりません。でも、前館長が、それぐらい発想を変えてとにかく行動力のある人にやってもらわないとここは動かない、是非やってほしい、と私を推してくれたわけです。以来8年間、旧自治体の行政文書2万箱の山から始まり、「千里の道も一歩から」という思いで続けてきました。気の遠くなるような量でしたが、毎日、毎月、毎年と、時を経るごとに片付いていく様は目で見てわかりますので、それはそれは楽しかったです。私が仕事を楽しんでいるので、それはスタッフにも伝わっているようです。塾の講師をしていたこともあるのですが、その経験からつらい勉強も自分が楽しんでいれば生徒たちにも伝わるということを知っていました。その経験がここでも活きているのだと思います。また、スタッフには常々「100年後、200年後を見据えた視座の高い仕事を」といったことを言い続けています。たとえば名前の記録の仕方ひとつとっても、単に「金子」と書いたのでは後世の人たちには「平成の金子」なのか、「明治の金子」なのかわかりません。後世の人たちに伝わるようにきちんとフルネームで「金子久美子」と書きなさいと指導しています。
ーまさしく経験から得たご見識というところでしょうか。
夫の仕事の関係でインドネシアに3年間住んでいたこともあります。言葉も文化も違う中での生活でしたので、ちょっとやそっとで物怖じしなくなりました。主婦の経験も大いに役に立ってます。夫が忙しかったので引越作業や庭木の剪定、大工仕事など家の中のことは全てやりました。日常の家事にも試行錯誤や創意工夫があるわけで、天草アーカイブズの草創期を乗り越えられたのもその経験のお蔭だと思います。館長に就任したのが53歳の時でしたので、ちょうどいろんな知識や経験が積みあがって色んな場面に対応できる素地ができあがったころだったのだと思います。そういったタイミングで安田市長や安藤先生に出会えたこともまた運命だったのではないでしょうか。
ー天草アーカイブズのこれからについてお聞かせください。
合併前の旧自治体の資料整理もだいぶ形が見えてきました。収集・整理がかなり進んで蓄積ができてきましたので、これからは利用促進に力を入れていきたいです。具体的には検索機能の充実です。現在は古文書、行政資料、写真資料・・・とそれぞれの資料ごとに別々の目録があります。当館を利用される方は、「○○年の水害について知りたい」というようなかなり絞り込まれた明確な意識をもってこないと目的の資料にたどり着けません。今よりもっとラフに情報にたどり着くことができる仕組みができれば利用者にとっても使いやすくなるのではないかと思います。ちょうど本屋さんや図書館で何の気なしにブラブラと書棚を見ていたら新たな発見ができるような、そんな場にしていきたいですね。例えばあるキーワードを入れたら古文書、行政文書、写真資料などあらゆる資料を横断的に検索できるような検索システムができればすごく便利になると思います。
ー本日はありがとうございました。
取材・執筆:矢賀部 仁 金剛株式会社 社長室
※取材当時
PHOTO GALLERY
中性紙箱で管理された天草新聞を見せてくださる橋本さん
貴重な天草新聞の原紙(表紙は新聞社作成)
原課から移管された行政文書の山
金子館長
天草市立天草アーカイブズ
所在地:熊本県天草市五和町御領2943番地 天草市役所五和支所 2F
TEL:0969-25-5515(直通)
開館時間:午前9時〜午後4時30分(入館は4時まで)
休館日:
・月曜日(月曜日が祝日となった場合はその翌日も休館)
・祝日の翌日
・4月1日〜4月4日 ※館内整理のため
URL:http://hp.amakusa-web.jp/a0695/MyHp/Pub/Default.aspx